ロスコのこと、メモ

01/01/1970

ロスコから色んなことを感じてぽつぽつとメモしている。

決して開くことのない窓を備えた壁
美術館でロスコを眺めたときに、そのさびて崩れそうな柱の隙間をなんとかぬってくぐれないだろうか、とこころみた。
けれど自分のからだが本当に薄く、2次元にならないとそれは叶わない気がした。
このことばを読んで納得したかもしれない。
ほんのわずかの厚み、それは私の肉体が全部通れるほどの隙間じゃない。
皮膚がぎりぎりスライドするほどの、質感。
筆のラインがでるほど薄く塗った色の面や、ツヤとマットが共存する画面から感じる感触。


うけとるひとと、鏡と、呼吸
ロスコチャペルは入り口もとてもあっさりしている。
そこに絵が飾ってある場だ、という意識を持たせない導入。
絵と対峙しそこからドラマを読み取るというよりは、そこにふと自分を見出すことになる。
絵の前にとどまって受け取るだけではなく、自分からそこに作用したくなる。
その空間に入り込み、対面し、一部となって受け取り、間合いをはかり、接近して、あとずさって。
ここから舞台の動きができないかな、と思った。
絵を前にして私がその空間にとった距離とか、見上げる感触とか、位置を見つける時間とか、それはとてもシンプルになにかと対したときの反応そのものみたいだったから。

ロスコの絵が大きいのは、それ自体がひとを引き入れる、という効果を知っているからでもあるみたい。
等身大の鏡。
でももし鏡だとするなら、川村美術館のあの高い位置の展示方法はどういうことなんだろう。
私はあの見上げる感覚は好きだったけれど(もともと見上げるという行為自体が好き)、でもどちらかというと対峙というより、手が届かぬ感触があった。
ちからは降りそそいでいるように感じた。