ギュスターヴ・モロー美術館のメモ

02/01/2014

家の近くにギュスターヴ・モロー美術館があることをうにこさんに教えていただいた。
モローは今までたぶん10点も見たことがない。けれど好き。と思う作家。
wikiによると(ウェブサイトの説明を読むのがむつかしいから)モローが1852年から暮らした邸宅が彼の死後コレクションと共に国に遺贈され、1903年に美術館として開館したものだそう。

入館料は€5。
書斎やお部屋の調達がそのままになっていて、インク壺が素敵だなあとかああ、モローは鳥のモチーフが好きだったんだなあ私と同じ。(ハチドリの剥製があった!)なんてかなり長いこと見とれていたんだけど、他のひとはちらりと見るだけでそそくさとその部屋を出て行ってしまう。もったいないなあ、作品も色々飾ってあるのに。などと思っていたのだけれど、上の階に登ってみたらとんでもなかった。
モローの作品が200点くらいあった(たぶん)。
デッサンは2000点くらいあった(と思ったけどwikiには“14000点以上とも言われる”と書いてあって、つまり数えられないくらいある)。
書斎とお部屋がメインだと思っていたからしばらく呆然と立ち尽くした。

モローの絵をいつかまとめてたくさん見たいと思っていた。
受け止めきれないほどの量にしばらく身動きできなかった。
気を取り直して部屋を回ってもそわそわ落ち着かなくて気づくとぼうっとしてしまっていたのだけれど、そうやってぼんやり目に入れているだけでもモローの絵の何かしらが隕石みたいにヒットしてきて、胸がいっぱいになって目も見えなくなっちゃって思い切り泣きたかった。
誰も気にしないでくれたら胸がいっぱいなことを抑えずに、それと一緒に見られるんだけど。
大人だからそういうわけにもいかない。
いつも思うんだけど、美術館には教会の懺悔室みたいな小さな個室を用意してほしい。

このところずっと心のなかに積もってきたことがわたしと対話しようと次々に押しかけてきた。
今はモローを見たいのだよ、と、耳の端っこだけそいつに貸しながら、目に集中した。
死にたくなるなあ。
となぜだか本気で思った。
でも私は幸福なことにその代わりに生むことができるのだった。(もちろんそれは踊ることとか実際赤ちゃんを生む、みたいなことではなくて。それも含んでもいいけど。)
毎日に打ちのめされているとして、それに比べたら、モローに打ちのめされることはそういうしあわせを含んでる。

いい香りのするおばあちゃんの横に座らせてもらって、少しおばあちゃんのフランス語を聞いた。
さっぱりわからない。

全部を覚えておきたいと思うから、私は業が深いと思う。
たぶんその業が私の目を曇らせてわたしの記憶の引き出しを錆びさせ開け閉めを困難にしてる。

どの絵も繰り返し、ずいぶん長いこと眺めたのに、初めて見たような気がするからまた立ち止まった。
モローの人物が自らひかりを放っているように見えるかんじ、仏像に似てる。
輪郭と塗りが一致してなくて矢野さんの逆塗り絵みたいだなあ、とか。
下書きみたいな荒々しい筆の跡と緻密なデッサンが同居してる。
今日美しいと思ったのは青く輝く腰布をまとった妖精と、無垢にしかみえないきよらかなサロメと、抱いた子どもを見下ろす伏し目がちな女性。
勝利の馬に乗った勇ましいひと。東アジアの細かい建物のデッサンがメインの理想郷。
黒い翼を持った、あけぼののビーナス。

押し寄せた濁流が土に染みこんでいくみたいに見えないところにたたみかけられてゆく。
覚えておきたいと思う私の頭が、その場に何時間もいさせたから、うなりがきちんと引いてもなお、絵を見ていることができた。

どの画家さんもメインの作品よりもデッサンを見るほうが楽しいわたしにとって、ギュスターヴ・モロー美術館は宝箱みたいな場所だったけれどとても全部は見きれなかった。
またいこう。
フリーパスとかないかな。
そうそう、今日は絵をデッサンしているひと(デッサンをデッサンしてるひともいたし、絵の具を持ち込んでるひともいた)がたくさんいたので、私も今度デッサンしたいな。