『少女ソフィアの夏』 トーベ・ヤンソン

01/01/1970

弟のラルフ(ムーミンの漫画を描いている)の娘ソフィアとおばあちゃんをモデルとした話。
長いながい夏休みを小さな孤島で過ごす、ひと夏。
永遠のような冬を終えて島はいのちやその残りで溢れている。
立ち枯れた乾いた幹や蔓、苔が地面を覆い、隙間を埋めるように花が咲き、鳥の骨が波打ち際に打ち寄せる。
生きることも死ぬことも日常のすぐそこにあって、季節をわたるのはひとも同じ。
ソフィアとおばあちゃんがそこで喧嘩をしたり発見をしたりしてゆく毎日が描かれている。

子供のころは時間は永遠だった。
毎日なにがあったかなんて覚えていないけれど一日が長くてなんの歯止めもなかったことを覚えている。
樹にのぼっても、アスファルトにしゃがんで蟻をずっと追っていても、ガムにからみついた砂利を日がな眺めていても、世界と私は密接でありながらどこか、時間からは乖離していた。
私はあまり自然の多いところで育ってはいないのだけれどそれでも、造成地に大きな蔦を見つけてターザンごっこをやったり、橋の外側を通ったりどぶの溝をずっとたどったり、トンボが何秒で帰って来るかを数えたり…探求は永遠だった
きっと都会で遊ぶところがなくて可哀想なように感じる今の子どもたちも何かしらを見つけて遊んでいるんだろう。
何もみつからないと思うのは大人だけだ。
もちろん、そりゃあこの島のようなところでもっと命や摂理のようなものを肌で感じることはどんなに素敵だろうとも思うけれど、たぶん決め付けるのはよくない。

でもそれはそれとしても、ここに描かれているのは私がほとんど触れたことのないような景色で、読んでいてずっと胸が苦しいくらい憧れた。
宿なんかとらなくてもいいから今すぐ電車でちょっと遠くの海に行って夜通し空を眺めたり砂を掘り返したりしたくなった。

誰もいない海にいきたい。
真っ黒な波の近くにずっといて、いつの間にか空が青白くなってくるところに立ち会いたい。

なんでも長い間こころをよせていればそのことを自然に理解できるようになる。
ひとから聞いたり勉強したり調べたりしてわかるような劇的なことじゃなくて、もっとその根底にただあることに近づくような。
そんなことに惹かれている。
私のおばあちゃんが丁寧に暮らしていることをとても大事に思うのもそれだし、海と一晩かかわりたいと思うのもそれだし、自分の、早くて目移りする流れよりもっと奥底に静かに呼吸している部分を知ったりそこから話したりしたい、というのもそれ。

おばあちゃんになったらまた子供のころの永遠の時間を味わうのかもしれない。
それともその、自分を深くふかくもぐることでそれが今でも得られるのかも。

まっとうで美しい景色でした。

少女ソフィアの夏