つなぐように

05/05/2009


こうして自分から踊りに対して働きかけていれば何かしらがついてくる。
ひととの縁もだし、ふとしたときにアンテナにひっかかってくる些細な、けれど核心に迫るものごと、自分自身の発する光のようなもの。
それなのに私はいつもここから逃げようとする。
甘えて動かなくなるというのが表面にあるけど実はなにかをおそれている。
何を?
なにか、今のままじゃいられなくなる大きな予感みたいなもの。

今まで分かりたいのに実際は表面を撫でるようにしか分かっていないだろうなという自覚があった大事なこと。
うんうん、とうなずきながら実は飲み込んだつもりになっていたこと。
そんなことが少しずつ自分なりに解き明かされていきつつあることに気付いた。
ずっと悩んでいたからだが感じるままに動きたいけれどそのきっかけとか動機を与えるのは自分で、そのスイッチの入れ替わりの精神のブレみたいなもののこと。
嘘を含みたくないけどそこに忠実にいすぎてどうしてもからだが止まってしまうこと。
私が存在して、そしてだれかがその存在に関係することで生まれる風景とか感情のようなものがあるということについて。
結局、いつだってせめぎあいなのだと思う。
引き裂かれて、手懐けて、その平安を愉しんでいたら境目にさらされていることを知る。
そして判断する。
一瞬の躊躇がいままでひっぱってきたなにものかを無防備に落としてしまわないように。
スイッチの切り替えの速さは訓練でしかない。
からだの、それからあたまも。

インプロが少し楽しくなってきた。
嘘なく動く、待つけど走ってみること、皮膚で感じた全部の感触、イメージを芝居でもゼスチャーでもないなにものかのかたちにしてみること、たいせつにしたいことを拾い上げること、そこに沿わしてみること。
不自由な部分が見えてくる。繰り返し不自由さを味わう。
好きな動きを知っている。繰り返しからだでたのしんでみる。
制御の範囲を超えた過度なインプット、隙間に割れ目をつくらないこと。


もう一度すべての動きを私なりに分解してみよう。