おどりをからだからひきずりだすこと

04/01/2012

うまく言えないけど、踊っている時にはからだの内側を外側にめくっているように感じることがある。
表っかえしにしてそれをつぶさに観察しているような。
熱も動機も混沌もそこにある。
冷えないようにまたくるむ、発酵させた生地のガス抜きをするみたいに限りなくきりなく表へ、おもてへ。
眺めているだけではかたちにならないからその自分に絶えずきっかけを与える、そしてまた見直す。
お互いが影響しあって干渉しあって、もっと、と探る手を進める。
ダメな欲が働いた時にはそれは簡単に閉じてしまう。
そうしたらまたひっくり返すことにトライする。
どちらが先かわからなくなる。どちらに自分が及んでいるのかわからなくなる。
でもそんな自分をどこかから俯瞰してもいる。
踊ることで美しくなろうとしている、と桜井さんは言ってくれた。
なんだろう。
それはどんどん自分が手の届かないことだらけの場所に進むからだろうか。限りなく近づいて同時に離れてゆく、熱のようなものが増して増して、見えなくなるから?

からだなんか振り捨ててしまいたいと思う瞬間がある。
こんなに自分の範疇でしか動けない、ただそれだけのものをかたちづくれない肉体なんかって、でもそのからだをこの上なくいとおしんでいる、同時に。
愛おしく思うのは美しいと思っているからなんかでは全くなくて捨てたいほどに寄り添ったからだ。
だから踊り終ると呆然とする。
あんなに密接であった時間と、踊らずに生きている時間との落差に。