差し出す

04/25/2012

月のうち何日かを色んな種類の、色んな地域での本番を抱えながら、2週間ごとにルーニィに常設してもらうための写真を撮る。
日本に帰ってきてから徐々にいそがしくなって、最後の2年くらいはそんな生活をしていた。
リハーサルは時には週に8つくらい。はしごしながら電車でもぞもぞ眠ったり考えたりした。

震災のあと仕事をやめて、踊る機会と自分との関係も変わった。
あんなに毎月舞台に立っていた時分に比べると今の自分は何も生みだし育てていないような気がすることがあるけれど、では舞台に立っていたわたしがその都度なにかを少しでも果たしていたのか、やっている気になっていただけじゃないかと考えると否定もできない。
とはいえ、誰かにみてもらうこと、そのために作業することはほんとうに大事だなと思う。

昔は自分のため以外に踊るということがわからなかった。もちろんわたしがこうして舞台が好きなのはみてくれるひとがいてこそだし、同じ時間を分け合ってくれたそのひとをどこかに連れてゆくことができたらどんなにか幸せだろう、だけどわたしはやっぱり何かのために踊っているなんておこがましくて言えないほど自分をぶら下げたまま手放せなかった。自分自身と関ずらわっているその現場をみてもらうためにわざわざ来てもらうのだろうか、入場料まで頂くのだろうか、と考えるとおそろしかった。

けれどもしかしたらそんなことは考える間もなくとにかく踊ってみせるしかなかったことを繰り返して、踊りをなにかに差し出す、というようなことにようやくひかりが当たってきたような気がする。
それは誰かのために踊るという直截の思考とはまったく違って、ただ踊りということのなかに全身とか全霊みたいなことをまるごと込めるみたいなことで、わたしがもしわたし以外の誰かになにかを差し出せることがあるとしたらそれを通してでしかない、そのことを言うのだ、だからわたしはいつも身綺麗にというか、まるごとで響けるように、通せるように、無駄なく運べるように、持たないものでなくてはならないのだ、という気がする。
いまはまだそこに至る想像しかできない。