ちゅんが案内するサイトができました、カルメンを終えてまとまらない頭

02/22/2013

サイトを良太くんhttp://ryotamoriyama.com/に作ってもらった。
手描きぽくしたいなあという思いがずっとあったので嬉しい。
右上にいつもいるのがちゅんです。
まだちゃんと出来てないページもあるのだけれど。
こつこつ充実させてゆきたい。

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カルメンの舞台が終わりました。
直前の4日間は劇場につめてずっとカルメンの音楽を聞いていたから今でもからだのすみずみに残っている。
いつも思うのだけれどわたしの体中に響いているこの音が他の誰にも聞こえないというのは何だか不思議だ。幽霊みたいに白昼夢みたいに少しずれた空間に存在するものなのだろうか。

特別に名前のない役だとはいえ物語のなかに登場するのだから今自分はどんな状況にあって、どんな背景を持って舞台上に存在しているのかということは自分なりに持ってのぞむのだけれど、あくまでも役者としての演技ではなく身体で奏でないといけない、ということを恩恵さんのアドバイスによってふたたび思い起こさせられた。
しなければいけないのは芝居ではなくて体現、のようなものなのだという。なにかをかぶるのではなくて花のように、おおかみのように、全体でそこにあるべき姿でいなければならない。
と書くとちょっとわたしの考えていることを誤解されそうだ、うーん、なんていえばいいのかな。
歌手として在るんじゃなくてうたそのものでそこにいる、みたいなことかなあ。
ダンサーとしてもちろんそこにいるんだしそして恩恵さんのアドバイスというのは自然体であれ、みたいなそんな方向のものではなく寧ろ表現についての細かなポイントだったのだけれど、踊るというのはひとりの人間としてそこに居ながら、まったく全体になってしまうようなことがつまるところあって、もちろんそれは身体がそこにあれば自ずと体現されるというようなことではなく、仮面をかぶってることを意識しつつそれ全部になるという矛盾みたいにきこえることを併せ呑むことなのかもしれない…と…うまくまだ言えないのだけれど、そんなことを思った。

花は、もうそれだけでまったき花なのは驚くべきことだ。


ジプシーの踊りがとても好きだったな。
リハーサル中に、シェネでオケピに落ちないよう散々練習した。
舞台上の稽古が好きだ。
客席にはスタッフの方しかいなくて誰も自分を見てはいない。お客さんが入るまで客席がうまっている状態のことはいつも想像ができない。
はじまると同時にひとつずつ物語は終わっていって、ほっとしながらさみしくなる。
花火みたいにその瞬間しか生きていない。

打ち上げは飲み会じゃなくてみんなでドリア専門店にいった。
健全。
わたしは健全に鳥肉と枝豆のドリアを食べた。

帰りの電車でみあちゃんと少し話す。
もっと話したかったな。
何度も一緒に踊ってるのにゆっくりいろいろ聞いたことがなかった。

音楽は相変わらず鳴り響いているのに、今は雪に囲まれている。
いつもの知恵熱。
ガラスにおでこをつけたら気持ちよかった。