HOTBOXで踊りました

11/19/2013

16日にケンジントン・マーケットにあるHOTBOXで踊りました。
音楽は森山良太さん。ギターとコンピュータで全部音を作り、それを現地で即興でつなぎ合わせる・・という手法で演奏してくれました。

カナダに来てからずっと良太くんと組んでパフォーマンスをしていたのですが、夏に膝を傷めてからはお客さんの前で踊ることのないままでした。
来月わたしはフランスに行くことが決まっているので、カナダでの最後のパフォーマンス。

20分即興で踊ることには全く懸念はなかったけれど、会場に着いた途端、この雰囲気とこのテーブルとアクトスペースの関係とで果たしてお客さんを惹きよせることができるのか?ということを考えて、とても緊張してしまった。
本番を迎えてお客さんの前に立つともう緊張はしないので大丈夫だと分かっていつつも、ひとりで演じるわけじゃないから、はじまるまで緊張で震えているのを見せるわけにはいかないな、とずっとへっちゃらな顔をしながらストレッチしたりふらふらしたりしていました。

からだがその場所に入るって、すごいことだなと思う。
私が上着やらストールやら靴下を脱いで、さあはじまり、と場所に入った途端、お客さんがざあっとわたしたちに集中した。
息の音もしないほどのはりつめた緊張が会場を包んだ。
ああ、大丈夫だ。
とわたしは思って、お客さん全員をからだで見回した。

無音から始まって、良太くんの繊細な音がはじまる。
良太くんの音とわたしのからだが慣れている音は、ずいぶん違う。
それは去年の8月に共演した時から感じていたことだった。
カナダに来てからも、良太くんが音を作っているのを聴きながら、素敵だと思うのに、からだがうまく反応しないことがもどかしかった。

でも16日の為のリハーサル中、わたしのからだにはこのひとの音が入ったのだ、ということに踊りながら気づいた。
だから、本番はなにも怖くなかった。


即興で踊っているあいだは神経が照らす時間の長さが普段と全然ちがう。
過去から未来に流れていないこともあるんじゃないかと思うくらい。

音や光に動機をもらってすぐさまからだに繋げる。
からだが動いたからその感触を動機として、すぐに次の動きに繋げる。
全部を断ち切ってみて、改めて景色からもらうこともある。
1秒の間にこの行き来をどのくらいしているんだろう?わからない。
自分が思ってもいない重力がかかることもある。
すぐ動きに響かせる。
見ようとしなかった景色が目に入る。
からだが反応する。
今の反応は単純だったな、と思ったら、待つ。しつこくやってみる。
実験をしながら、でも見てもらっているということのラインを下回ることはしない。
頭なんかつかわないでいいや、って空っぽにして任せることもある。
目なんか不要だ、と思う。
肉も邪魔だ、と。
すべての輪郭を不思議に思う。
からだの確かな不自由さもいとおしい気がする。
地面や床のことは足の裏だけに任せて、知らないねじ切れ方をする。
転んだり怪我をしたりするすれすれまで放り出してみる。
地球の真ん中まで芯を通したように丁寧に立ちたくなるときもある。
お客さんの目線を計る。
自分の欲を最大に燃やす。
なんなんだかわからないところから落ちてくるものをとりこぼさない。
同時に、全部を満たしながら計算して、管理する。

その一瞬いっしゅんと、自分のからだの在り方が結びついて、音を含んで自分に記憶されている。
だから終わってもからだがずっとそのことを覚えていて、また檻から出してほしそうにする。
そうだね、また踊ろう。
知ってる。
離せるわけがないんだ。


良太くんの音で踊りながらこころが震えて仕方がなかった。
からだのかたちが感情をつくるのか、感情が滲みだすから表現になるのか、そういうことを踊りながらずっと考え続けている。
こころが震えることにしか、どうしても動くことができない。
日常生活はそうじゃないこともいっぱいしなきゃいけないけど、踊りだけはどうしても。


見てくださったみなさん、ありがとう。
この機会をくださったホッシーさん、ありがとう。
それから良太くん、ありがとう。

+

この日の動画ができました。
良太くんが書いてくれた文章とともにどうぞ→「熱の交点」