* つみあげていくこと

10/31/2008


オペラのリハーサルやらそれによって山積みになってしまった仕事やらでしばらく行くことができなかった稽古に、昨日久しぶりに参加。
12月にスタジオパフォーマンスとしてキリアンさんの作品である『ベラ・フィギュラ』を踊る。
ただでさえ振り覚えが悪いのに昨日で振付が終わってしまったのでちょっとあせっています。
でもみんなが11月にも時間を作って教えてくれると言ってくれて、うれしいやら申し訳ないやら。

ビデオでは見たことのあったこの作品を踊れることが幸せ。
動きのなかに込められた意味を教えていただけることはもちろん動くうえで大きなヒントなのだけれど、それだけではなくて、この動きや作品に至る思考のようなものひとつひとつにはっとさせられ、こころを動かされる。
それが決してすごく特別な聞いたこともないことなんじゃなくて(って書くと語弊があるかなあ。もちろんそれはとても素敵なことなのです)、その芽のようなものは私のなかにもぼんやりと存在すると感じるから。
そこにひかりが当てられて、そうだ、私にとってもそのことがらや方法はとても核心のちかく、こころのどこかにひっかかったりおりみたいに沈んで静かに息をしていることだったんじゃないか、と気づかされる。
何か表現をするといったときに、ほかでもなく私にできることは私があたためていたことを見つめることだけ。私がしたいことは多分そのこと。
そのことをこんなに確かに提示されることは驚きであり喜び。

苦手だと思っていることばを使ってこうして日記を書いて自分を整理整頓しているのも、結局は漠然とした蓄積にかたちを与えて自分で認識するための作業なのだと思う。
そうしてすこしずつなにものなのかが見えかけてきた蓄積をいつか日記という自分整理だけの方法じゃなくてかたちにしたい。

まさにそのことを、この稽古場ではいつも気づかされる。
感動を伴ったり、理解しきれなくて悩んであせったりという幸せな痛みもともなうけれど。

シンプルに。
詰め込むことに今は貪欲にならなくてもいいや。