* おかあさん

11/14/2008

またね、おかあさん。

友人の日記のコメントにあった、別れのことば。
すごくこころに染みて、占めてしまった。

母と娘ってときに小さなぎしぎしがあるなあって感じるようになった。そのぎしぎしの詳細はもちろんひとによって違うのだろうけど。
女同士ということに加えて、血でお互いを見るから厳しさが加わるのじゃないかという気がする。
自分と母との関係だけでは分からなくてもそのまた上の関係(母と祖母の関係)を見ると妙に、ここ流れるものに納得がいったりすることがある。
これは、関係性だけのことじゃなくて、自分の奥底の正確についても同じことだけれど。
ふたつ上の血を見るだけで、両親をみるだけではわからないことが少しわかる。

母もおばあちゃんも、それからたぶん私も、どこか自分を曲げない。
大抵のものごとにはこだわらず簡単に受け入れるくせに、どこか自分を、自分が考えるあるべき場所みたいなところにぐっと縛りつけている。
ほんとうは赦すことに憧れているのに、お互い決して踏み込めない、理解し合えない部分があって、それが唯一自分のこだわりの部分なんだよねと、牽制しあっているようなところがある。
でも、そう。
私たちはほんとうは、もっとべたべたに甘えたり、安心したり、したいんだ。

母はとくに、そうだ。

甘え下手でだからこそいつまでも母に対して足りない気がしているこどもな私たち。

またね、おかあさん。
は、重ねた時間の末のことばであり、どこかこどもの部分の叫びみたいなものもにじんでいるようだし、だからそう言えることが尊くも感じるし、あまりにやさしく切なく聞こえる。
またいつかも、わたしのおかあさんでいてね、って。

私たちのお母さんはまだ生きているから。
けれど毎日に削り取られてすぐに大事なことをないがしろにしてしまう。
きっとそれをそう簡単に変えることはできないんだろうなあ。
なんて、大事なことの順番を取り違えてるな、とはわかっているんだけど。
家族ってむずかしいよ。