* 『トニー滝谷』 市川準

12/15/2008

グレーと蒼、シンプルな構図の画面。
その中で淡々と、孤独も幸福も悲しみもが描かれていた。
本を繰るように過去から未来へ移動する時間、村上春樹の小説と同じような登場人物との距離感。

村上春樹は一時期とっても好きで何度も繰り返し読んだ。
まだ私は孤独とかかなしみとか失うということを知らなくて、まるでそれを飲み干したらからだにしみこむんじゃないかというように、その色のなかに沈んで過ごし、知ったような気になった。
今また読み返したら見過ごしていたたくさんのことをもう一度体験し直すことになるのだろう。
「孤独とは牢獄のようなものだ」というそのことばもいつか、ほんとうの意味でこころを締め付ける日がくる。私にとって孤独はまだ、自分の影のようなものだから。

宮沢りえの登場シーン、実際に少し時間を遅くして撮っていたんだろうと思うけれど、けれど、風に吹かれて舞う髪、少しずつ現れるおでこ、跳ねるような足取りのひとつひとつが待ち遠しかった。
演技が特別上手だとは思わなかったけれどこのひとは存在だけで攫ってゆくなあ。
そして、人付き合いが苦手だというけれどトニーさん、あんな綺麗なひとを臆することなく誘えるなんてすごい。
車に映る薄曇りの空のあいまに流れた青信号が綺麗だった。
「ぼくもまた息子には向いていない人間だった」と見上げた空も。

スウェーデンで高熱を出したときに自分があと少しで死ぬという夢を見た。
焦燥はなくてただ空虚なかなしみと諦めがあるだけだった。
家族も私もそれを受け入れて、そのときまでに身の回りを綺麗にしておこうという話をしている。
私は大した服を持っているわけでもないのに自分の残したものをとある友人に譲ってほしいと話す。遺言らしきものはたったひとつそれだけだった。
私がいなくなったあとにその服だけが残ることが不思議で、その時だけ胸を突かれた。
私のためになのか、残された誰かのためなのか、分からないけれど。
自分がいなくなるのに世界中の時間は引き続き流れてゆくことが寂しかった。
けれどそうでないといけないよ、とも思った。
だから私は静かにいなくなるんだ、と。


他人はそのひとの断片しか知らない。
知りえない。
もしかしたらそれを分かち合えるという幻想が希望であり、そして絶望なのかもしれない。

トニー滝谷