* ありがとう、ごめんなさい

12/27/2008


仕事のことで弱音を吐いてご心配をおかけしてごめんなさい。
それに、やっぱりなんと言っても全ては私の至らなさが発端なのにそれを何かのせいにするなんて。「何のせいにもしたくない」などと日記に書いたばかりなのに、舌の根も乾かぬうちに私ってば!ととても恥ずかしいです。
(なので消してしまいました。愚痴なんて言ってないでがんばります)

コメントやメッセージやメールを下さってほんとうに嬉しかったし、ひとつひとつ大切に読んでいます。
なかなかお返事が遅くてごめんなさい。
お返事を書けないほど落ち込んでいるわけではなく、このところ行事が詰まっていてパソコンに触れなかったり、じっくり大切にお返事を書く時間がとれないだけなのです。
こころをこめて、時間をつくってメッセージをいただいているのにほんとうにごめんなさい。

そうしてもうひとつ。
私、無神経すぎて気づかなかったのですが…小さい日記の方に「ほんとうに他人のことを解かるなんてできない」みたいなことを書いているのですが、これは頂いたメッセージに対して、私が苦しんでいることを理解していると思わないで、という意味ではまったくないのです。
私はひとつのことをずうっと思い悩んでいる性格でもないらしく、この小さい日記を書いたときには自分の悩みのことなど考えていませんでした。
実は、あれは先日亡くなったタレントさんについてニュース・mixiの日記を読んで思わず書いてしまった文章でした。
「私も○○さんの気持ちがわかります」という日記があまりにも多くて、もちろん「わかる」と言いたい気持ちが生まれることを軽んじるわけでもないし同じ「わかる」にもうんうん、と頷ける「わかる」もあるのだけれど、でもなんだかなあ、「わかる」って危険だし、こんなふうに揚げ足をとっている自分のことを考えると日本語って難しいなあ、だからこそやはり簡単にことばを扱っちゃいけないし重大なことにおいそれと言及できない、ということを考えたのです。
思ったことをちゃんと文章にできるならばまだしも、思っていることをうまく表現できないままの文章が誰かを傷つけたりしたら、かなしい。どっちにしろ文章には責任があるのだから。
私はまだ自分の思ったことを自分が納得できるような文章にできてすらいない。

そんな理由もあってあまり直截的なことを書きたくなくてぼやかして書いたのですが、もしかしてこれは私へ優しいメッセージを下さったりアドバイスを下さったりした方を傷つけたのではないかという可能性に今日はじめて気づき、ちょっと慌ててこうしてここに書いています。
お返事もしないうえに「ひとはひとを理解することはできない」なんて書いたら拒絶のように感じますよね。
でも違うの~!!!!!! すごく嬉しかった!!!!
お返事をしなかったのはただの(ただの??)怠惰です。
いただいたメッセージをうれしく思わないことなどありません。ほんとうに。


「ひとはひとを本当には理解することはできない」と思っていることは確かだけれどそれは「私はすぐに驕るから、誰かを理解しているなどと思わずにいよう」という自分へのいましめであることが多い。
私にはわからないことがたくさんある。私以外のことは、想像するしかない…のかもしれない。
でもわからないからわかりたい、と思っていれば、いったん外の世界を飲み込んでみることができる。私はそうは思わないってたとえ考えたとしても、受け入れてみることができる。そうしたいな、と考えています。
理解できない、ということはそのものを拒絶するものではない。
理解していないということをちゃんと知って、そのものと向き合おう、ということ。
こうして自分に言い聞かせないとすぐお調子に乗るから。

+

何故か歩いていてそのタレントさんの死について考えて、相変わらずこころないことを書く一部のマスコミに憤りながら、でもこんなにたくさんのひとがこころを痛めていることも考えながら、
誰がなんといおうとも彼女にそれが届くことはないのかもしれないなあ、とふと思った。
彼女がそれを聞いて悩んだり違和感を感じることもなければ、もしかしたら喜ぶこともないのだ、「死」ってそういうことなのかなあ、と、そんなようなことを考えました。
「死」は生きている私たちにとっては辛いもののような気がするけれど、本人にとってはどういうことなんだろうな、と、出ない答えに思いを馳せた。
もしかしたらちゃんと全部聞こえていて「勝手なこというなよな」って思ってるかもしれないけど。

+

変な日記なのですが、こんな時間なのでメールをすることもできず。
自分の無神経さにびっくりしたので、言い訳をさせてください。