* しゃぼん玉、時差

12/01/2008

12月になりました。
寒いし街はちょっとずつクリスマス光が差してるし夕飯にお鍋の回数も増えてきているし着実に冬なのだけれど、やっぱり今年は夏がすっとんでしまったせいか全然今がいつなのかわかりません。
5月に行ったカンボジアの日記とかをこつこつ書いていると余計にそうで、ときどきはっとパソコンの前で足を冷やしている自分に気づきます。
水を切る平べったい石みたいに意識は飛び越えているのに無論私はそこを通ってきていたわけで、その一足飛びにしてしまったものがときどき障子に穴を開けるようにぶすぶすとこころに指をつきたててくる。その外と、こころの中の温度は実は一緒で、実はちゃんとわかっているんだなあ、自分をほんとうにごまかすことなんて出来ないのだ、ということをもう3万回くらい目に噛みしめる。
たくさんの経験をし動き回った今年、皮膚はしゃぼん玉の表面みたいに何色にも染まりさざ波がたったけれどその実、やっぱりしゃぼん玉みたいに含んでいるのは空気だけでちっともあたたかいものなど生み出せなかったのではないか、ということをひとりになると考える。
いろんなことをしてみたかった。ちょっと無理でもいいから受けられるものは受けたかった。だから後悔はしていないし自分の速度というものの認識がちょっと変わったことを考えたら収穫だったかもしれないけれど。

知らなかったけれど、私はすごくスローペースな人間なんだ。
もっと器用だと思っていた(手以外は)。
器用貧乏って私のことだと思っていた。
けれど案外私はすごくじっくりしか進めないたちなんだ。
ひとと話すときにあんなにどきどきするのも、なかなかこころを許せないのも、踊りがなかなかからだに入ってこないのも、ひとつのことが本当に出来るようになることも、すごくすごく時間がかかる。
私が思っているよりも。
表面に流れる時間と奥底を刻む時間とが全然違う。
今までそれを分かっていなかった。だからぽんぽん投げ入れて、どんどん飛び込んで、早いスピードに乗っていこうとした。すぐに受け入れて、懐いて、好きになれると思っていた。
勘のようなものは早い。
だから3層かな。
表面は早い、奥底は遅い、それをもやもやと取り囲む雰囲気やにおいに対しては瞬時。
その誤差にずっと混乱させられていた気がする。

いまさら、なにも言い訳はできないな。
その都度選び取るしかない感覚のなかに、新たにヒントを与えてあげる。
そうすればちょっとはただぱちんと割れて消えてしまうことを眺めずに済むようになるだろうか。