ほおづえをついて覗き込む

12/16/2008


仕事場の解散会。
男社会についての熱い語りを聞く。

25歳のそのひとはまっすぐで隣から横顔を見つめながら何度もうなずいた。
うまく出てこないことば。でもそんなことちっともかまわない。迷いも気負いも愛情のようなものもそして厳しさも入り交じって。
こう見せたいとか、卑下とか、そんないやらしさが一切ない。
ひとと向かい合って自分とも向かい合って生まれる揺らぎと確信がそこにはあった。
もうこの業界に長いひとが彼の話を真剣に聞き、真剣に道を示す。もう3年も同じ職場なのにこんな風に話すのを初めて聞いた。
素直にそれを受け入れ正直に不安も欲も打ち明ける。未熟かもしれなくてもそれをまるごと隠さない。
それに対してひとりのひとの時間が出した答えのようなものが示される。絶対の正解などないとわかっていながらも、自分の信じるところへの確信は失わない。
25歳のその気持ちも45歳のひとの願いも、私にはよくわかる気がした。
腰を据えている職種も違うし私には男のひとの、というかこのふたりが抱えている(または抱えるであろう)責任みたいなものをほんとうには分かりようもない。
けれどそこで交わされているのは私にも覚えのある迷いや不安だったし、私の経験から導いた断片を後押ししてくれるものでもあった。

刻み込むように聞いている間にこころの底がどくどくしてきて、どんどんその響きが満ちて溢れそうになった。
自分の中にぽっかりと空いた部分を今とても自覚していて、なんなのかどうしたらよいのかはわからないけれどとにかくその穴のことだけは感じていて、ふいにそこをしっかり覆って揺さ振ったことに驚いてもいた。
何で昨日の今日なんだよ、と笑い泣きしたいような気持ちになった。
なんてあたたかい悪戯。
ほんとうに求めたから聞こえたのだったら、少なくとも今日の一歩は間違っていなかったんだと思える。

改めて言うまでもないことなんだけれどやっぱり真剣に生きなければ。
自分を覆わない。覆ってもいい。けれど全部を認めることで甘えない。
迷ってもいい。けれど迷い続けることと馴れ合いにならない。
完全になんてなれない。でもそれを当たり前としない。

なんだこの教訓集みたいな日記。

本当はもっと揺さぶられたしもっと感じたことは大事だったけれどとても私には文章にしきれない。
忘れたくないから文字にするけれど、とても。
もどかしい。