* コラージュ

12/17/2008

悲しくても涙が出ない。とかのっけから言ってみる。
感動したり、可愛いなあって思ったり、うれしかったりほっとしたり、他の誰かの悲しみに対してはすぐ涙が出てしまうのに。
自分の悲しみのためにだけ、泣くことができない。
泣くほどの余裕がないわけでもない。
こころのどこかが凍結しているのかもしれないし、まっすぐに泣けない事情がそこにあるのかもしれない。自分にも分からない。

お風呂で髪をごしごし洗いながら、仕事上でお世話になったのに結局不義理を働いてしまったひとのことを考えていた。
一度破綻してしまった信頼関係を復活させることは難しいし、気持ちを理解してもらったところでふたたび期待されるように働くことはやはり物理的にできない。
もうこれはどうにもできないことだった、と思おうとしていた。
ずっと。
でも25歳の熱いおはなしを聞いて、わたしはそのひととただきちんと話したかったんだ、ということに気が付いた。ようやく。1年もかけて。
ずっとちゃんと話したかったことを伝えたかった。ほんとうに感謝していること。それを伝えられないまま離れて時間が経ってどうしてか怖くなっちゃったこと。
なにを求めているわけでもない。信頼を取り戻そうとか、もう一度私を使ってほしいとかそんなことじゃなくてただ、きちんと向かい合って気持ちを伝えたかった。ありがとうごごめんなさい、そのふたつを言いたかった。

そしてふと強烈に、もし自分が傷ついたとしてもそれを認める勇気がなかった、ということが心に差し込んできた。
「傷ついた」という言い方はドラマティックすぎるな。
悲しかったり、いやな思いをしたり、なかなか立ち直れなかったりする部分にちゃんと向き合ってこなかった。
私は大丈夫!元気者だから。立ち直りも早いし、図太いから。そういう言い訳をしてとりあえずずきずきすることを置いておくことができた。そういう両極端を使い分けることには長けていた。うじうじするのはいやだったしそれで強くいられるならいいと思っていた。

でも必ずしもそうじゃなかった、悲しむことも勇気なのかもしれない。

楽天的に捉えられることと受けたことに鈍感になることが入り混じってしまって、たくさんのことを見逃してきた。
泣けないことと、ひととのつながりを大切にできないことはきっと深くつながる。

うもーー。なんか修正しなきゃいけないことだらけ。