* 『オルフェウス&エウリディケ』 カンパニーマリーシュイナール

02/08/2009


冥界から妻エウリディケを連れ戻そうとしたオルフェウスは数々の試練に打ち勝つが、最後のさいごで振り返ってしまい永遠に妻を失う。
もっとも悲しく、もっとも美しい別れのシーンのひとつ。

神話はどこから、どんなふうに生まれてきたんだろう。
どうして世界中におなじようなモチーフが存在するんだろう。
わたしたちの礎が、この身体というものが同じだからだろうか。
その身体が外界と反応するとき…生まれた瞬間とか、まだ意識の無いうちに見るお母さんの顔とか、まだその個人自体が混沌としていた時代の記憶が神話なのかもしれない。
人類の黎明期じゃなくて、個人的な黎明期。

脱力系の漫画みたいにだらーんと肩を落として右往左往するダンサー、ロデオみたいな派手な性行為。
ぎりぎり下品にならない可愛さ、派手さ、半分狂ったみたいな喧騒。
神話のイメージ再現みたいな場面はとても面白かったし、ケルベロスの3つの首の表現には吹き出しちゃったし。
でも、それが急にその別れのシーンに繋がる。
そこでいっきにはっとさせられる。
ちょっと肩がひきつるみたいな変なおかしみのテンションが、まるで時間がゆがめられたみたいに遠ざかる記憶のような静寂に包まれる一瞬。
そのあまりの落差に胸をぐいっとつかまれて思い切り揺さぶられた。
その瞬間、何で自分が涙をためているのかわからなくて驚いたけれど。
今だって何かが分かったかと言われたらわかってなくて、ただたくさんの感触や、シーンの色合いを持ち帰ったにすぎないなあという感じ。

カナダのカンパニーの作品なのだけれど、日本の「鬼」に通ずる雰囲気を感じた。
日本独特(と私が勝手に感じている)の善も悪もない神々、うずまき遊び跳ね回る魑魅魍魎。
野田秀樹さんの作品の『半神』がとても好きなのだけれど、なんだかそれをつよく思い出した。
結合双生児のシュラとマリアは空想のなかで人間の世界ともののけの世界のあいだに存在する。もののけたちはシュラを見守る親であり、シュラをからかう友達であり、人間とは棲む場所を分かつ鬼でもある。
ふと書いていて気づいたのだけれど、シュラとマリアの別れのシーンはオルフェウスがエウリディケを失うシーンとちょっと似ているなあ、とも思う。

あと日本をイメージしたのはお能みたいな声とか、舞踏みたいな腹筋の使い方。
あの黒髪の女性の発声、すごかった。
だんだん気持ち悪くなってきたもの。
自分の胃から喉をおかされているかんじ。
こんなに演じる身体と見る身体は、近い。

文字に色が見えることから派生して、発音の過程での喉への感触、吐く息の温度のことをよく考える。
気管という器官は、すごく生な感じがする。
なんだろ。
生きものの発生はからだの真ん中から進化してる気がするし、どんな簡単な生物でもとりこむ口と吐き出す場所はあるし、
それに、オルフェウスが妻を失うのは冥界の暗くて長い洞窟だ。


今津さん、とてもよかったです。
サムライみたいな雰囲気がとてもあの色に合っていたしかつ、特別な…ロッククライミングでたとえると、絶妙な手をかける石!みたいな感じで。
作品、とても好きでした。
とても賛否両論わかれそうだけれど。

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言語の誕生
そして言語の力を
問うダンス・パフォーマンス
言語と叫びとそれらの身体との繋がり
言語と死の繋がり
そして身体がいかにして舌から立ち上がるか
現在/過去の目も眩む明滅の瞬間に
(異なる時間の衝突、
しかも適確な、当然ながら)
ある種のプリミティヴな想像力から生まれる
いま生きられているかのような具体的なイメージ
我々の人間的起源への
言語の底の力への貫入
緊張と感情
そしてユーモアの光で破壊される真の暴力をもって

パトリック・デュボスト
(※劇場HPの公演概要から引用しました)

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Compagnie Marie Chouinard (Click!)
東京公演は北千住のTHATRE1010 (Click!) にて、本日8日15時が最後。

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2/12(木)
今日、昔の手帳を読みながらこんな言葉を見つけた。
“日本人はおそらく極東のギリシャ人で、その精神はおのずと傲慢で、グロテスクで、奇怪なのだ”
出典がわからないのが残念。
ふと、ここと繋がったので。