* 『隠された記憶』 ミヒャエル・ハネケ

02/14/2009

※私なりのネタばらし(正解かは分からない勝手な解釈)をしているので注意。※

なんでもない街の一角の風景で始まる。
殆ど変化もないし、長すぎない?と思った頃に映像が乱れる。
おーいTSUTAYA。と思った次の瞬間、それがビデオに映された景色だということが分かる。
今思えばこれこそ最大のヒントだったんだなあ。

ある夫婦のもとにふたりの家を監視撮影したビデオが送られてくる。
だんだんエスカレートするビデオを追っていくうちにジョルジュは自分の幼少期に吐いた嘘がひとりのアルジェリア人の人生を狂わせたという現実を思い出す…。
というような内容。

不快をはっきりと感じる直前に切り上げられる長い盗撮ビデオ。
妻のためだと言いながら自分の足場を崩すまいと話を濁すジョルジュ。
いらだって正論をぶつける妻。
いつどこから見られているのだろうとつのる不安。
なにかがどんどん空回りして恐ろしいことが起こってしまうんじゃないかと焦る。
進むにしたがってやすりをかけられた神経ががさがさ毛羽立ってゆく。

恐ろしいことはついに起こってしまうのだけれど、結局、誰がそのビデオを送り夫婦を追い詰めたのか、何が狂わせてしまったのか、釈然としないままぽんと放りだされて終わる。
映像を見る限りでは本当のラストシーンにアルジェリア人の息子が夫婦の息子ピエロと親しげに話すシーンがあって、やっぱり犯人はアルジェリア人の息子だったのか…?という軽い衝撃があるのだけれど、でも感覚は「違う」と言う。
なんだろう。
ずっとこの繰り返しだった。
自分の、そのシーンとか雰囲気から感じる感触と運ばれてゆくストーリーとのずれ。
すごく微妙なずれなんだけれどとても気持ちが悪くてこの映画と私は合わなかったのかもしれない…と考えたのだけれど、
ふと、最後の、息子ピエロとアルジェリア人の息子が話しているシーンの直前にはさまれた、ジョルジュの嘘によってアルジェリア人が施設に追いやられることになった子供時代シーンのこと、これがミヒャエル・ハネケの作品だということ、この映画が封切られたときに「驚愕のラストシーン」とうたわれたこと、ハネケが「映像はすべて真実を映しているとは限らない」と言ったこと、最初のシーンがビデオを見ているとは思わせぬ演出だったこと…
すべてが繋がってわあ!っと固まってしまった。

ラストシーンの直前にアルジェリア人が施設に送られる子供時代のシーンがはさまれた意味。
なにが映っているかじゃなくて、あのシーンを遠くから眺めていたのは誰だったのか。
同じように息子同士が話しているのを見ているのは誰なのか。

アルジェリア人の自殺のシーンはビデオに撮られていたわけではない。
盗撮ビデオというアイテムをさしはさむことによって、私たちは「ビデオか現実か」の二つしかそこにはないと何故か思わされた。
でも自殺のシーンが映されたあのとおりじゃなかったら?
ジョルジュのついた嘘だったら?
“隠された記憶”のその隠されていたのは子供時代のそれじゃなくて、今現在ゆがめられた現実とともにある記憶のことだったら?
私たちが見せられていた映像こそが隠された記憶の一部である…なら?


きゃー!
もしそうだったらこわい。
「なんだかわからなかった」で終わるはずだった映画がとたんに変貌して襲い掛かってきた。


アルジェリア人の息子が言った「疚しさとは何かを考えていた」というセリフが突き刺さるようだった。
ジョルジュが抱く差別の意識、子供の頃の罪の意識。
それはただ押さえつけられただけで彼の中から消えるものではなかったんだな。
自分にすら嘘をついて、テレビに出ているときのように本当の現実を虚構で過ごして、けれど胸の中では小さいジョルジュが成長することなく、ただ黒く伸び放題になっていた。
アルジェリア人との会話のビデオも、アルジェリア人の自殺シーンも、まるで子供の目線のような低さから撮られているのもちょっとヒントなのかなあ?
ジョルジュというひとが仮面をつけたまま毎日を過ごしているのだとしたら、彼に感じていたなんとなくの違和感が理解できる気がする。(このなんとなく、というところを描くこととか演じることってきっとすごく難しいんだろうなあ、と思うのだけどどうだろう?)
何がきっかけで突き破ってきたのか。
奥さんの浮気を盗撮しようと思ったのがはじめなのか、それとも小さな、理由ともいえないようなことがはじまりだったのか。

でも正解は分からない。
こんなことぜーんぜん違くて実はそのまんまアルジェリア人の息子が犯人だったのかもしれないし、それとも犯人なんてそもそもどうだっていい映画かもしれないし(多分そういう部分もある)。

ハネケを見たのは初めてだったけど、他のを見たらもっと何かわかるかなあ…。

隠された記憶