* おりて、ほって、たしかめる。

02/09/2009


舞台を見終わったあと、友人が勤めるお店でご飯。
おどる私よりも踊りに詳しいKくんと話すことはいつもとても刺激的。
自分が何をどう感じて行き着くかもしれない先はどこかということを、増幅したり練り直してクリアにしたりできる。
話題はピーピング・トムからマリー・シュイナールのこと、それから日本語のこと、日本文化のこと、神話のこと、写真のこと、何かを生み出すことについて、…とあちこちに飛ぶ。
ことばにならないとても微妙なことがらを共有できるひとと話す時間は幸せだ。

最近こころを惹かれるものにある傾向があることに気づいている。
トーベ・ヤンソンやメイ・サートン、アニー・リーボヴィッツ、サーシャ・テューダー、森麗子さん、それから自分自身のおばあちゃんの生活。
どのひとも私よりも長い時間を生きている女性だし、そしてなにごとかにじっくりと自分自身をかけて向き合っている。
「かける」って、不必要に力の入りすぎた懸命さではなくて、その見据えるまなざしが当たり前のこととして生きる流れに自然と組み込まれている、という感じ…かなあ。

そういう種類のことを私は自分の対極に置いて生きてきたのだと思う。
自分には(私が思うところの)女性としてのまめさも細やかさもないし、飛び回ってしまってひとところに落ち着けない性格だし、さばさばしているように見えてその実うじうじしていて凛としてないし、いつまでも子供っぽい浅はかさが抜けない。
でもどういうわけか今、上に書いたようなひとたちのことが気になってこころを惹かれてしかたがない。
ただの憧れ?
年を重ねてきて目線が変わって、自分もそんな人生を真似たいと思ったのか。
そんな方向にもやもやとかたをつけようとしようとしていたのだけれど、Kくんと話していて、今年何を一番大事にして過ごそうと決意したかということに、ひょいっと繋がった。
じっくり自分を見据えて磨き込んで、立つこと。
自分の中に降りていって耕すこと。
大きな動きは必要じゃない。こまやかに拾って、なぞって、選別して、汲みなおす。
もし耕したことによって舞い込んできたものがあったら育てたいけれど、軽はずみに自分から求めないでいよう。どうしても表面的なことに目をやってしまうから、私は。
踊りでもほかの芸術でも対面してお話をするときでもそうだけれど、本気じゃないものはもういらない。スピードとか体裁のよいものとかちょっと感心しちゃうようなものとかはもういいや。(と言っても俗な私はすぐに興味を惹かれちゃうんだけど)
ちゃんと地面に体重を乗せて味わうこと。
自分がその価値を判断すること。
知りたいことや好きなこと、ひとを知ること。にわか知識じゃなくて。
私はなにもできないや、なんていう甘えを捨てること。
泥臭くていいから、さぐること。
それが、今、欲しい。

ほんとうにそれを求めているから、それを実現させるべくじっくりと生きている(ように感じる)女性たちに惹かれるんだ、と気づいた。