* シフトチェンジ

03/16/2009


コンタクトインプロをしていると自分のひととの接し方を見せられているようだな、とよく思う。
からだに接触することも会話や意思をつなげようとすることも同じなのは考えてみれば至極当然のことなんだけど、こうもしょっちゅう考えさせられるようになるまで実感としてそれを頭の中心においたことがなかった。
こうやって踊りを通して認識を鮮やかにできることは素敵なことだと思う。
世界と接するための新しい手段、新しい皮膚、あたらしい視界、あたらしい耳。
長いこと踊ってきてずっとその幸せを感じてはいたのに、抽象でよいという考えを改めてからは、そのよろこびのようなものもくるしみのようなものももっと身近になった。

でもまだ実はいろんなことが宇宙の果てみたいな感じで、すごくぼんやりしている。
きっと処理の方法も、情報の集め方も、いっぽ手前で足踏みしているんだろう。


慎重にしんちょうに、きく。
傾きも筋肉の硬化も見逃さないように。
だんだん相手の手のひらを感じているのか自分のてのひらの形を確かめているのかわからなくなる。
あるとき待ちすぎている、と気付いて切り替える。
そういうとき往々にして手放してしまう。
スイッチの切り替えは同時進行のスライド式であるべきなのに、たぶん私はプラスとかマイナス方向に切り替えるダイヤル式なのだ。
頂点のゼロで、なにかが切れてしまう。
ゆだねようと思うことと主体とならなければと思うことのちょうどいいバランスがいつも見つけられない。
ちょうどいいころあいまで待つことができない。
それはからだの関節どうしの連動も同じこと。
重心が移動してゆくから接点が変わる。重力を堰き止めないで流してあげる。隙間ができるのを待つ。
どこかを突っ張ることでしか動き出せないなんてとても不自由だし、せっかくの物理的法則を利用しない手はない。
無駄な動きが多い。
細かさと小さく処理することは違う。
右肩の変な癖が抜けない。自分の手首はいつも決まった回転の仕方しかできないと思っている。
いびつなことは好きだけれど、ニュートラルを知っておきたい。
たくさん掘り下げて知って、できるだけ両手をいっぱいにしたら、いつか全部それを手放せるときがくるだろう。