* ソンタグの手紙、鐘のふたつの音

03/09/2009

ソンタグと大江健三郎の往復書簡を読んだ。
見たり体験して知ったこと以外は何も言うべきではない、という自分へのいましめのことばが印象的。
彼女はあらゆる権力側の暴力をただ否定するわけではなく、たとえばNATO軍のコソボ進攻を支持した。最後の手紙では主にその背景を語っている。あの時ミロシェビッチやセルビア人を攻撃しなかったら、セルビア人でないコソボのひとは残らず虐殺されることになっていただろうう、攻撃をしないことはコソボを助けないということと等しい、その被害を食い止めるためには止むを得なかった、と。
攻撃でしか止められない暴力がある、というそのことばにどうしようもなく涙が出た。
大きな犠牲のために小さな犠牲は止むを得ない、ということを選択し認めることはきっと容易ではない。
何万人が死ぬのと、ひとりが死ぬのとは同じ重さだからだ。
けれど選択せざるを得ないことと彼女は真正面から向き合っている。
その場所に行ってひとりひとりを見て、なおかつそう断言する。
どんな想いなんだろう。
戦わないのが理想としたうえで、けれど争わないではいられないのが人間かもしれず他を排除しないではいられないのが世界の現状。

この直前に読んだ本がスリランカの混乱期の、そこで翻弄され運命を変えたひとびと口をつぐんで死んでゆくひとびとの話だった。
失くしたひと、消えていったひとが残されたひとのどこかに根付き、生きてゆく限りずっと二度ととりもどせないものとして焼きついている。
どうしてこんなに希薄にもなれるし、がっちりと絡み合いもするのだろう。

世界から見た紛争のことも、個人からみた紛争のことも、同時に味わったきがしてぐらぐら揺らされた。
でも実際はこういう視点を持つべきなのだ。
世界から見たら希薄になってしまう個人のいのちと、個人から見たら見えないところでするりとほどけていってしまう全体のことと。


その本に出てきたのだけれど、ある墓を発掘したらたくさんの音楽を奏でるひとたちが一緒に埋められていた。
生前に獲得した富や宝を墓に持ち込むのではなくて音楽を財産として墓に入れたのだそうだ。
金や財宝じゃなくて音楽を来世への道しるべにするなんて素敵だと思う。そしてそういう文化が確かにあったのだということに驚いた。
鐘はすべて、2つの音が鳴るように出来ていた。
魂には二面があって、拮抗して釣り合う力があるという表現だそうだ。