* テオ・ヤンセン展

03/01/2009


しばらく前から肉体と精神のことをときどき考える。
一番の発端になったのは「人体の不思議展」で、この肉のかたまりと私との差はなんだろうということがよくわからなくなってしまった。
だいたい私は鉄砲の弾、あんなに小さな鉛の粒が体を貫通しただけでひとの生命が活動をやめてしまう理由がよく理解できない。
おぼれたりして脳が死んでしまったら意識がなくなって、脳がからだをつかさどることをやめて、そして身体機能が失われてゆくことはなんとなく想像がつく。
でも切ったり刺したりすることで、肉体が傷つくことだけでこの全てが停止してしまうことがよくわからない。
(だからって死や痛みに対して想像力がはたらかないわけではない、もちろん)

生きていることとは脳みそ(が考えたり感じたりすること)がからだと繋がっている状態であり、死によってそのからだは相変わらず残っているのにもう精神とかこころのようなものはすっかりとなくなってしまうこと…
こころはどこにいくのか、どうしてこの肉のかたまりと、かたちのないこころが結びついていたのか、なんだかそんなことを考えていたら全てが神さま(のようなもの)のいたずらか、バグのようなものなんじゃないかと混乱した。
(亡くなってもこころは消えない、という考え方もあるしそれをまったく客観的にだけ受け入れているわけでもないけれど、まあそれはそれとして)



テオ・ヤンセンの作品をはじめて映像で見たときにざわざわと感じた違和感はそれと近いことだった。
彼いわく自分の作品は風を受けて自分で歩く新しい生命体だ、という。
でもほんとうにそうで、風を感じてしばし迷っているさまやそろそろとつま先を砂に降ろす様子は傷つきやすくて大きな生き物みたいだ。
足のいっぱいあるウスハカゲロウみたい。
王蟲みたい。
でも最初に受けた感触は昆虫じゃなかったんだよな。
かといって哺乳類とかでもない。
ぜんぜん違うもの。

とてもナイーブで、大量の細かい関節からなる滑らかな動きを見ていると、これは生きていないんだとあらためて自分に言い聞かせることになる。
…と書くと大げさみたいだし、写真を見ても分かるようにどう見ても骨組みちゃんなんだけどね。
でも、動くことでこころはうまれないんだろうか、とふと。

こんなふうに実際に押してみることもできるんだけど、各関節がぐぐぐ…と動いている様子が持ち手から伝わってくる。
ちょうど骨盤を支えているような感触。
人間のように平らな足の裏で歩いているわけじゃない、その感触。
(足の裏のような先端はついているんだけど、多分底が丸いから地面に接するのは線)

あのこたちを本当の風の吹く場所で見たい。
青空の下で、太陽に照らされてはばたいているところを見たいな。
展示場に並べられていると剥製みたいだったから。



私が撮ったもの。
ざわめきが聞こえるけど、揺れててよく見えないので見つけてきた画像も。↓