* 古い日記、ラナンキュラス、選択の連続

03/01/2009


大昔の、ブログじゃなくってただのプライベートな日記、ただメモ帳に書いたことをそのまままとめておいたものをちらと見てすごく驚いた。
なんて散漫でけれど強いひかりを放っていて、痛々しくて、あっけらかんとしているんだろう。
そして文がクサイ。
そんなふうに文章を書いていたんだ、私は。
「だから私は
ことばを紡がずにはいられないし
ことばを失わずにはいられない」
というくだりがあって、なんだ、何年も前から同じことを言っているのか、と苦笑い。

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先週、遠くから逢いに来てくれた友達になにか渡せないかなあとふらふらしていて、絶対に渡せないと分かっているのに花屋さんに迷い込んだ。
アネモネはもういっぱいに開いていて、一番綺麗なのはラナンキュラス。
ひなげしみたいに薄い紅色のものを探したけれどなかった。
ふちが子供に切り刻まれたみたいになっている白いチューリップ、クロッカスの水色からすみれ色のグラデーション。
あげられないから、とあとで花屋に引っ張っていったら笑われた。

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縦にも横にも時間の方向にものびているこころのどこかを「ここ」と指し示すことがその瞬間の選択ならば、なんてわたしたちは不自由なんだろう。
そして「ここ」を選んだ瞬間にそうじゃないことを切って捨てることが誠実さであり素直さであると勘違いしていたわたしは、こころのありようみたいなものになんと無頓着であったのか。
自分を許せないからほかのひともなんとなく許すことができない、そんなからまわりにやっと気づいた。
選ばなきゃいけない不自由さを知っているのだから、認めなきゃいけない。

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テオ・ヤンセンのこととかKバレエを見たこととかはまた今度。