大久保のこと

03/19/2009


大久保。

この街に来たのは夏休みが始まったばかりの日。
学校に挨拶にいく日、おそばやさんから出たら室外機からものすごい熱風が吹いてきて、そしてその熱気はどれだけ歩いても去らなかった。
運動靴の底ができたてのアスファルトに溶けてくっついてしまいそうだった。

東京の夏はこんなに暑いんだ、と思った。

モルモットを譲ってもらったあとに、食べ物とか檻とかを買いに行ったのが新大久保にあるこのお店。

新大久保といえば本当の懐かしさはもっと別のところにあって、
このペットショップの近くの曲がり角を奥へおくへと歩いてゆくと好きだったひとのうちがある。
私がおどることになったきっかけはもしかしたらそのひとにあったかもしれない。それはそのひとが踊っていたから、ということではなく、わたしはそのひとと関わることで生まれてはじめて自分を本格的に保てなくなって、自分の持つエネルギーをからだにはおさめきれなくなったのだった。わたしがちゃんと騒ぎを起こさずに眠れるようになったのはおどりのおかげだった。
糸のはじまりは、不思議。

大学生の時にどんなにさがしてももうそこにはたどり着けなかった。そのひととの縁が切れたからなのだろうか、それともただ引越しをしてしまったのかもしれない。
そういうことはときどきある。

多分子供のころってそういうものなんだと思うけれど、いろんな人を見た。
いろんなものが捨てられていた。
ときどき、ちいさな何かが死んでいたりもした。

人間の大人が血を流して倒れていたり(これは新宿ならでは??)、
おじさんが雨に打たれてちょっと冷たくなって倒れていたり(ちゃんと起こして屋根のあるところに連れて行ってあげた)、
学校の帰りに知らないおじさんに道端のホテルに引っ張り込まれそうになったり(ダッシュで逃げた)自転車置場に引っ張りこまれそうになったり(ダッシュで逃げた)、
神田川を越えてずっと中野まで歩いて今川焼きを食べたり、
クリスマスには新宿のビルに浮かぶ絵が楽しみだったり、
ポストによくわからない粉の薬が入っていてまやくだ!と騒いでみたり(捨てた)、
「おにいさん、あそんでいく?」と中学生くらいに見える外国の女の子に誘われておにいさんじゃないし!とショックを受けたり、
ネタはいっぱいあったなあ。
なんか新宿の歌舞伎町付近に住んでるって物騒でじめじめしたことばかりみたいなイメージがあるかもしれないけどいざ生活してみるとそんなことばかりでもなくて、いつも背中に太陽があたっていたような気がする。
何かに夢中になっていても、あたたかい手が絶えず背中にあてられていたような。
多分それは太陽じゃなくて、親とか先生とか、友達のお父さんお母さんとかの庇護のようなもので、子どもの頃わかっていなかったはずのそういうものを大人になってからそういえば、と思い起こせるのは心強いことだと思う。
だからどんなに新宿はごちゃごちゃとしてうるさくて汚くても、帰るとほっとする街だ。