* 虹色わたあめ

05/22/2009


孤独のことをよく考える。
ひとりきりのなかにずっと入っていって見つめることを。
孤独とか、ひとりきりとか、閉じこもるとか、そういう言葉には影が差していて温度が低くどことなく悲しい雰囲気をまとっているという気がするけれど、多分その言葉そのもの、その状態そのものには感情が伴うものではない。
私にとって孤独とは、子供がひなたぼっこでひとり遊びに熱中しているような感じの状態だと思う。
そこには自分しかいなくて、揺るがすものも揺るがされるものも、自分との関わりにしかない。
自分が関わって自分のものにしたもの、も含んで。
ほんとうはそこでもっとひたすらぐっと入り込んで分類分析して書きとめてくればいいんだろう。
でも私はそこで見たひかりのこととかおもちゃの手触りとか、なんとなくかなしかったなあとかおもしろかったなあというふんわりした香りのことしか持ち帰らず、確かなものを手に戻ってくることができない。
これはある程度性質だから、手触りのあるものをきちんと目の前に羅列しようとしたらかなりの努力が必要になるんだろうと思う。(けどなかなかそれもできない)
けれどそんな私でもだんだん学習しているんだと思う。
そこで遭遇するものごとのなかで何がこころを揺するのか、どんなものに目が惹かれるのか。
どういうものごとを疑問に思うのか。
いろんな色のザラメで作ったわたあめみたいに細かく絡まってどんどん舞い上がってきているそのことたちを、本を読むことやともだちと話したり踊りの稽古にいったり…つまり、自分じゃないものがよりわけてくれる。
それが永遠に自分にとっての真理になることもあったし、よりわけてくれたのにまた混ざっちゃったこともある。
触れたそのときには全然理解できなくてあとで気付いたこともあれば、いまだに何の魚も釣れなくて漱がれている糸もある。

私の文章を読んで、さみしいひとなんじゃないかという感想を伝えてくださったひとがいた。一瞬どきんとしたけれどその寂しさのようなものを匂わせるものは一体なんなんだろうな。
私はずーっとそういう負の感情(と自分が決めたもの)を表に出さないように気をつけてきた。結果的にはそれは良かったこともあれば逆に迷惑をかけたこともあったんだけど。
全部ひたかくしにして、そんなものが自分にもあることを忘れてきたから、大人になってしっぺ返しをくらった。
今の私はちょっとずついろんなものを取り戻しているんだと思う。
もう一度ちゃんと立つ方法を確認したいんだと思う。
もしかして必要ないのかもしれないけど。でもやりたいんだと思う。

私が生身であることに惹かれるのはそういうわけなんだろう。
自分がたくさんのごまかしをしてきたから、もうそういうものは要らない、と思う。
かっこ悪くても、痛々しくても、まっすぐぶつかることができるものしかいらない。