* がけっぷちからの動き、自己愛のこと

06/26/2009

からだがいきついた先を何度も味わってやっと次にどうしたいのかがわかることがある。
この重力に任せたいのか逆らいたいのか、つりあいをとっている他の箇所が作用したいとすればどこか、どの部分がフリーになりそうなのか。
たたき込まれた動きのボキャブラリーが少ないからではなく常に発想がこり固まっているために、それから感覚に甘えようとしているために慣れた、自分にとってつまらない動きを続けがち。
急なスピーチなんて全然できない性格は踊りにも通じる。
わたしはそんなに即興の利く人間じゃない、ということをもういちど頭にたたき込もう。
ぽんと放り出されてぱっとすぐに浮かぶほど器用でもないし感覚が特別なわけでもない。
何かひとつ筋をつける(動きに通じるルールでもいいしものがたりでもいいし)なり、ピースを用意するなり、感覚に頼れるくらいに教え込んだり…とにかくもっと準備が必要。

昨日のリハーサルではそのいきついた最後の動きを何度も繰り返してその先の可能性を見いだすことにいつのまにか専念していた。
こんな作業だったらどこででもできる。
のに、スペースのせいにしてやらないできた。
けれどあきらかにこの作業は頭だけではできない。
もうどうにも瞬間には生まれない。自分の技量のからっぽ加減を知る。
でも繰り返してからだに聞くと、ちゃんとこたえをくれる。
ときどきからだが崩れたり角度が違ったりフリーだった一部がどこかに触れたりすることで一瞬浮かぶイメージをキャッチしてたどってみる。
浮かばなかったらそこに道筋をこじつけてみてもいい。
こうしてみようか、というアイデアが、必ずさしだされる。
もう、繰り返し人形みたいになったときに、やっと。

生まれることにだけは、嘘がないようにしたい。
もうそこに振付けがある時にはそこに理由や流れをはめ込むけど、自分がはじめからつくりだせるなら、たとえすでにある動きだとしてもわたしが今持っているものからいのちを与えたものでありたい。
別に真面目でありたいとか、芸術ってそういうところじゃないといかん、とか思っているわけじゃない。
私は今までずいぶんと “おつり” でやってきたと思う。
小さなころの景色とか両親からもらったものとか友達から受けたこととか、毎日6時間くらい稽古し通しだった毎日の体力とか。
そういうおつりに甘えていてももう自分のこころが躍ることはないんじゃないか、という気がするから。

わたしは日々変わる。
先週つややかだった紫陽花がくったりして今日は今年初めての沈丁花の香りがひらいたように。
一瞬たりとも立ち止まっていないのに昔のものに寄りかかってただ古びるまでたどりかえしてはいけない。
自分の中に積もっていると確信できるものに甘えるのは安心だし簡単だしそこにわたしらしさがあると言うこともできるんだけど、大事にすることとただ使いまわすこととは違う。
せっかく毎日たくさんのことを教えてもらって、感じて、生まれ変わろうとしているんだから。
踊りのことで自分をずるずるどこかにおいてきぼりにしてどうする。

いつも、今ぎりぎりのところをきょろきょろしてないと。
世界の今じゃなくて、わたしのいま、で当面はかまわないから。


わたしが自分自身に生身を求めてわたしのことばっかり考えるのは、少なくとも踊りに関しては、いまはわたしの生むことにしか責任をもてないからなんだと思う。
「あなたの自己愛の強さからはろくなものはうまれない、あなたはほんとうの芸術家ではない」とつい最近言われた。
そのひとは私の踊りをみたことがあるわけじゃないからどういう部分までを言ったかわからないけど。
…うん、確かにそれを否定することはできない。
実を言うとわからないのだ。
そんなこと言われちゃうなんて大変!と思ってちゃんと考えたけど、やっぱりわからない。
普通の生活では私は自分の好きなことしかできないし、いろんなことをないがしろにしているし、ほんとうに自分しか大事にできないんじゃないだろうかと悩むことがある。
その性格が影響しないわけはないから私は芸術にも自己愛のようなもののしょうもない部分をばしばし発揮しているのだと想像することもできる。
でも、私が踊りのことを考えるときにまだ自分からはなれられないのは自分を誰かに見て欲しいわけでも愛して欲しいわけでも自己満足で収束つもりもなくて、ただ自分から生まれたものしか私にはわからない、確かに責任を持って言えることは今はそれだけなんだ、ということ。
自分がなにかから離れて特別なすばらしいものを生めるとも思っていない。
わたしは必ず世界と繋がっているのだし、発信したいのもその世界なのだし。
ちゃんと交換して、やりとりをしていたい。
わたしがもらっているものすべてを噛み砕いて、それで手のひらにのせてみたいのだ。
私もそれを見たいし、見てもらってその人がなにか世界と繋がったらいいな、と思う。
いただいたものにお返しをしたい、なんて大それたことも言えない。
だって私のできることの小ささたるや、たったわたしひとりぶんのことなんだから。
たったひとりの友達でさえ動かそうとするなんて傲慢な気がする。
なのに、世界からすべてを受け継いでちゃんと差し出せるなんて、そりゃあ頑張りたいけれど、試みるけど、でも私が確信をもって向き合えるのは今は自分だし、そこからはじめないといけないくらいまだ未熟なんだと思って。

でも考え続けないとなあ。
的を得ているかもしくは未熟だからそれを否定できずに「おお!」とショックを受けたのだ。
ろくでもなくはやっぱりなりたくない。