共震

06/09/2009


話していると今一番わたしのこころをとらえて離さないもの、頭をぱんぱんに膨らませているものにどんどんじょうろでお水を与えられているよう。
めまいがするくらいに膨大で深遠なそのことをみみかきくらいに小さく、だけど繊細に、ちょこっとずつ耕しているかんじ。
だから肩が凝りました。
あまりこったりしない方なんだけど。
裏も表も光に当ててそこからふわっと立ちのぼる靄のようなものをなんとか紡ごうとして、眉間もこってしまった。
気付いたら5時間も真剣にあつくしゃべり倒してしまったのだもの。
また違う階が見えたという感触が、雨の日の湿度のようにぼんやりと、けれど強い香りを残す。

とっくに私に提示されていたことなのに、ヒントどころか答えそのものをほら、って差し出されていたのに、まったく理解をしていなかった。
うちに遊びに来た猫が、生きている時間のあまりの違いにかたつむりを生きものだと気付かなかったように。
実感をともなうってすごいこと。
そのことばにわたしにとっての真の意味が芽生えた瞬間。

なんて賢くて感覚の豊かなひとがたくさんいるんだろう。
そして切実に求めている。
あらん限りのエネルギーをつかって、四方八方に。
真剣に向かえばむかうほどそのことに気付いて愕然とする。
私はなんで踊っているんだろう?
踊るために自分のなかから理由や、好きなことや、疑問や、意味を抽出しようとしているようなわたしが、ほんとうに踊ることに達することがあるのだろうか?

このごろはつくることを前よりは意識的にかんがえていて、新しい刺激から自分の中に積もったなにかしらを掬いあげて姿を与える、という作業をしてみていた。
でもそれは単にアイデアの出どころということに過ぎなくて…実際にそれが生まれる場所とか経緯は別の衝動のなかにあるべきなのかも、ということに思い至る。
抽象的なことでもかたちにできる、観念的なことでもかたちにできる、なんていう発見が嬉しくてそのことを簡単にとらえようとしていた。
なにかの姿に似せさせたり安易に変換したりしていいわけはなかった。
そのかたちになるしかない、というところまで削らなきゃいけないんだった。


とか書いても実はこれもまだからだに染みるほど理解したわけじゃないかもしれない。
ましてや、具体的な方法はまたわからなくなった。
だって、また一番根っこの部分に帰るから。
じゃあ、私が切実に手を伸ばしているものってなんなのか?
こんな問いが必要な人間が、(その私ですらが思い描く)本心から見たいと思うような踊りをつくることはできないんじゃないだろうか?
でもそれを言っちゃったらおしまいだから、考え続けることにする。
もしかしたらその、この気付いちゃったところへの気持ちが、答えになるような気もするから。

こんなふうに暑苦しい情熱のようなもの、わたし語りのようなものも捨てられないし、たぶんそこにヒントも根っこも絡まっている。
それと平行して、ようやく自分を離れて外から見たときの効果のことにもこころを馳せるようになった。
マーク・ロスコが「自分のことをひとに伝えるより、私のものだけではない世界の見方を伝えるほうが好ましい。わたし自身の外側にある無について、広範な経験について語りたい」と言っていて、つまり自分自身を越えた個人的な興味の外側にあるものを創造したい、というようなことを言っているのかなあと思うのだけれど、こういうことに対してやっとなんとなくうんうん、とうなずけるようになった。
(まだすばやい飲み込みはできなくてうなずくまでにちょっと時間が必要だけれど。)
それから、「絵は自己表現だとは考えない。コミュニケーションの手段」だとも。
自己表現って、なんだろ。
どういう意味合いでここにこのことばが使われているんだろう。
ちょっと、これのことがまだよくわからない。

7月のクリエイションのためにみんなと話したり、ジュリー・ニオシュが考えていることを聞いたり、そしてこのことばを読んだりして、私が感じていた自分の表現の幼稚さの正体をぴりぴりと感じている。
いったいなにをしてきたんだよう。
薄ぼんやりとすべてをとらえて、なんだかとらえきれていないのだけれどでも感覚しているはずだから良しとしよう、というのはやはりすごい落とし穴だったんだ、と改めて思う。
少なくとも自分にとって正しい正確なジャッヂをして、どういう場面で、どういう理由で自分がそれを選んだか、ということを明瞭に持っていなければならなかった。
創りたいなら。
与えられるだけならもしかしたらなんとかなったかもしれないけれど。
自分のセンスの部分をとにかく信じるしかなくて、少なくとも最大限にそれを把握しておかなければならなかった。

まとまりがつかないくらい絡まっていて、もしかしたら消えちゃったことも多いかもしれないけど、思い出して繋げて、さらに感じ続けて留めていくしかない。


こうやって塗りなおさなければならない分も考えたら、ほんとうに間に合わない!だよね。
たくさんのインスピレーションをありがとう。

MARK ROTHKO