* 朝のお風呂、乾いた塔・満ちた塔、しんに奪回すること

06/12/2009


横浜でリハーサルを終えて帰ってくるともう12時を過ぎている。
からだはそんなに疲れていないのだけれどイメージをぶつけ合って選び取る作業だったから頭が疲れていて、かばんだけを下ろして着替えもせずにベッドに転がったらいつのまにかそのまま眠っていた。
朝方、母さんが私の部屋の電気がついているのでドアを開けたら私がぴょんとまっすぐになって「寝てないよ!今日は昼からリハーサルで出かけるから。でもそれまでは寝てていいの。」としゃべったらしい。
全然覚えていない。
私はそれからすぐにちゃんと目が覚めて、だんだん明るくなってゆく窓を見ながらお風呂に入った。
目を覚ましたちゅんが私の気配を見逃さずにいたみたいで、お風呂から出たらタオル掛けのところにふっくらと待っていた。

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池澤夏樹は『忘却の河』の巻末に、にんげんというものを考えるとき永遠に続く平原に無数の塔が立っている風景を想像する、と書いている。
魂は人格という塔にとらえられていて、そこから解放することは容易ではない、と。
私がつみきのいえで素敵だと思ったのは、この地球を埋め尽くす塔の足元を水が満たしている、というイメージ。
深いところはそれぞれ見えないけれど、表面にあらわれているものはほんの刹那(だってその部屋だってもすぐに沈んでしまうのだから)のものだけれど、けれどその水を通じて同じ温度を感じあうかもしれない。
魚が行き交うかもしれない。
やりかたによっては、どの時間同士をも通い合わせることができるかもしれない。
塔はからっぽじゃない。
乾いてもいない。
積まれた時間も出来事も瑕もほこりも、そこにあるのだ、というイメージ。
やさしい、と思う。

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freezingさんがアマヤドリについて書いてくださった。
■坂のある非風景~妥協なき苦痛、妥協の苦痛、苦痛なき妥協