* 石原智是個展+『In The Light』 30日ソロで踊ります

11/29/2009


昨日は月曜からの石原さんの個展の搬入と照明セッティングがありました。

駆けつけると音楽のチャーリーさんがいて、なにを申し合わせるでもなく音を出してくださってなんとなくそこでセッション。
思ったとおり、次から次へとイメージがすべり出て、連れてゆかれてしまう。
すごいな。

主役の絵の展示の高さは、見たときの感触を大切にしながら。
ひとつひとつももちろんだけれど全体でどんな重力や傾きを発するか。
光の先はどこで視線はどこに流れてゆきたいか。
なんだか金曜日に見たローザスの舞台のことを思い出す。

照明もとても凝っていて、ほんの少しトレーシングペーパーで光源を覆うだけでやわらかさがまるで変わる。
増谷さんは石原さんの絵が外で描かれていることから、一番太陽光線に近い色をそこに再現しようとしているとのこと。
やっぱりみんなで石原さんの家に伺い、描かれている風景を見て、描いている場所に立ったことは素敵なことだった。

私もあの日はすごく特別な日だった。
石原さんのおうちにまで伺うと決めたのはそんなにアクティブな時期じゃなかったように思う。
こころは雑多なままではなかったことも覚えている。
だから、そういうふうに向かえたんだろう。

ギャラリーの退出時間が迫ったとき、宮田さんがちょっと踊ってみましょうか、とおっしゃった。
ちょっと足元が沈むくらいどきんとした。
素晴らしいなと思っている絵のなかで、石原さんを目の前に踊ることを、想定してなかったから。
私のこころのターゲットは当日のお客さんに向いていたらしかった。
ほんとうにわたしもこの作品のなかのひとつなんだということを、このひとたちと共有しなきゃいけないのだということをどっしりと実感。

なにも誤魔化せないし、ごまかしたくないし、
もうここにぶち当たってちゃんと絵と景色と光と場所と交換して、
あの日から私の中で変わったなにか、
変わったわたしが見たり考えたりしてうっすら積もりつつある実感、
でもやっぱり抱ききれないことがらやそれへの想い、
自分のからだがあるということ、
急に飛び立った鳥やぱちんと落ちる年老いた枝、
いっぺんに入ってくる感覚、やわらかい土や差し込む橙の光、あーちゃんが可愛かったこと、絵の具のにおい、青白い妖精みたいな虫、何かを話し合う雀、遠くて近いくさむら、尽きずに話したかった夜。

どれだけのことがからだの表面に浮かび上がるんだろう。
もうそれは祈るしかないような気がする。
祈って、願って、手をのばしつづけるしかない。
その先を見つめつづけるしかない。

ダンサーってなんて、非力で儚い存在なんだろうか。
だってなにも残らないんだもの。
ローザスのアンテレサさんもおっしゃっていたけれど、ピナが亡くなって再度胸を刺したのは、肉体の消滅とともにその表現もとりもどせなくなるということ。
けれどその切るような切なさは、ほんとうに純粋な祈りのようなものを生んで、まったく悲観は打ち消されてしまうんだな。
だから今、このからだをいつくしんで、それは自分だけを愛でるのとは違って、今のこの瞬間のすべてを包み、照らして、連れてゆくような、そんなことを願っているんだろう。

ものすごい緊張の中踊ったけれど、ちゃんといいものだったと言っていただけてすごくほっとした。
よかった。
自分の100の自己満足や反省よりも、ひとことの「よかった」は強力。

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●石原智是個展
日時:11/30(月)~12/5(月) 12~19時 ※最終日は17時
場所:銀座ギャラリー アーチストスペース