* し と む

02/15/2010


お母さんくらいの年のひとが角で立ち尽くしているから「どうしたんですか」と声をかけたら視線の先にまだ小さな猫がことんと横たわっていた。
ブルーグレーのアメリカンショートヘアーの子供だった。
ぴんと立っている夢をみているような格好で、やわらかく目と口を閉じていた。
毛の先は冷えていてもまだ根元はあたたかいように見えた。
けれど、実際は生きられなくなったとたんに変質してしまったように、固くて軽かった。

生きているときと何が違うのかわからなかった。
でももう子猫はまったく生きているようには見えなかった。
まだ可愛いしふわふわしているのにどうしてだろう、とずっとみつめていた。

こんなふうにあとかたもなく急にどこにもなくなっちゃうものって、いのち以外にあるだろうか。
そんな、いつふっつりとなくなってしまうともわからないものだけがここにいられるすべだなんて。
かたちがないどころじゃない、無そのもの、みたい。
そういうことを考えるとき、いつも手をひっくりかえして見てしまう。
私がかんじていると思っているこのあたたかみは何なのだろう。
この薄皮一枚の外は実は暗闇で真空なのかもしれない。
光は外から差しているんじゃないのかもしれない、というふうに。
おどるとき、わたしはいつも盲目で、この薄皮をつきやぶっていつかのひかりを浴びようとしているだけなのかもしれない。


いつも会社に行く道に長く首を伸ばしていたあじさいの植え込みが工事でなくなっていた。
いまだにまたぐたびに死んでいた雛を思い出す駐車場。
黄色いインコを埋めた道とみちの中洲。
奥歯を噛む。
ちいさな澱みはその場所じゃなくてわたしのなかに投げかけられただけだ。

死はいつも変わらない。
かわらずたたずみつづけている。
生きていることが過ぎ去りつづけることだとすると、まるであべこべのように思える。


死と場所の記憶、
いきていることとものである肉体の間の噛み合わなさ、
写真をとること、
おどること、
ひきうけて連れてゆくこと、

もう少しヒントがほしい。