* まるいかがみ

02/05/2010

表現のことを考えるときに、思い返すと自分でも驚くほど他者ということをやじるしの先に入れない。
いまのところ踊りでも写真でも、その先に観客がいるということを前提にしている。
見てもらわなくても、私から生まれるだけで満足、というふうではどうやらない。
これははっきりと認識している。
そういった意味ではもちろん他者を意識してはいる。かならずこれが誰かの目に触れ、肌に伝わるものだということ(もしくはそうだといいなという祈り)。
けれど生み出すその母体はどうしてもわたしの奥深く、あるいはその芯とつよく手を握っているものであって、世界に対してとか他者に対してへの叫びではないし、他者や世界の不在の感覚でもない。

きっとわたしの宇宙のいちばんおおとそは私の皮膚であり、それがいつも宇宙の中心を向いているのだろう。

いつか誰かのために、とか、世界に向けて、ということを、その意識において、話したくなるのだろうか。

たぶんこのわたしのなかのブラックボックスはいつか、宇宙のいちばんおおそとを包む、と思っているのかもしれない。


ほんの、メモ。