奪われはしないものについて

07/01/2010


踊りのことと写真のことばかり考えている。
なにを見ても、なにをきいても、もう脳みそのなかにはそれしかないようだ。
あんまりそのことばかりであたまをぱんぱんにしているからつい、バイトのことを忘れそうになる。
ますます浮世離れが激しくて、月曜日を金曜日だと勘違いしてお昼にカレーを頼んでしまうしまつ。
仕事はいい加減にはしていない(はずだ)けど、毎日、明日ちゃんと出勤するのだということを忘れる。

現像のトラブルは傷ではなかったみたいで、もしかしたら薬品処理でどうにか少し綺麗になるかもしれない。
怖いから今の状態でプリントをし、処理後にもプリントをする、という二重の作業をやってもらおうと思う。

おばあちゃんの写真を選びながら、ひとを撮った写真には失敗はないなあ、ということを考えた。
ぼけてたりぶれてたり光が足りなかったりという失敗はもちろんある(おおいにある)けど、ひとが写っているというだけで何故こんなにゆたかなんだろうか、と、しんとこころがあつくなった。
ひとは、そこにいるだけでゆたかなんだな、つまり。
そんなこと毎日感じてられないけど。


雑誌、penの「書のチカラ」という号を読んでいる。

お母さんの書道の先生の字がとても好きで、お手本をもらってなぞっていた。
の、という字の芯のとおった丸みに、たくさんのものが含まれていた。
筆の輪郭のきわが美しかった。
ひとつひとつがきりっと粋で、なおかつていねいで真摯であたたかかった。
自分が死んでしまったら自分の字もこの世界からなくなってしまう、だから教えている、と先生は言っていたそうだ。
踊りをしているわたしにも、そのことばはきりきりと迫った。
先生は亡くなってしまったけど私は会ったこともないそのひとを、こうしてときどき思い出している。