風切り羽根と、手

02/20/2012

氷を胸で割って滑るように、白鳥は白菜を食べにくる。
カメラを向けると真っ黒の目をぐっとこちらにあげた。
おわんのように持ち上げている羽根は雪や氷よりもやわらかに白くてしなる首も優雅だけれど、白鳥はとても気が強い。
山からとんびが餌を狙って降りてきても威嚇してちっとも負けていない。

いつもこのお堀に白鳥は降りてくるんですか、と地元の方に訊いたら、白鳥は羽根が切ってあって飛べないようにされているのだと教えてくれた。
呆然とした。
小鳥の風切り羽をカットして飼っているはなしはよく聞くのだけれど、こんなに大きな鳥が空の下でこの場所に縫いとめられているなんて。
きっとこの白鳥たちはこのお堀が好きなんだね、なんてのんきなことを言いながらわたしは白鳥たちを毎朝眺めていたのだ。

飛べるようにからだができている生き物はどうしてうまれたんだろう。と、枇杷の木にとまって首をかしげているひよどりを見ながら思った。
あまりにも不思議すぎた。
人間は飛ぶために飛行機やヘリコプターをつくったけれど、どうして空を担当することを、いつどんなふうに選んだのだろう。
ちゅんはいちにちじゅう何かを食べている。一日に摂取するエネルギーの大半は、翼を動かすための筋肉でもやされてしまうから、半日ものを食べないと鳥は血糖値が下がって死んでしまう。
魚もそう。
からだの機能は泳ぐことに向けられて、水と一緒に生きるようにかたちづくられている。

何かに特化しないぶんだけ、ひとはどんなことにむけて形成されたのかな、とあまり見えない。
あ、でも手は特別にうつくしいかもしれないな。
ひとの手はうつくしい。
ひとの手がつくりだすものも、ひとの手がものを言っている最中も。
作業中の背中を見ていても、その手の感触をみている。
ひとと動物の違いは、道具をつくるための道具をつくれることだと聞いたことがある。
羽根はないけれど、その羽根を撫でる手がある。(ちゅんは撫でようとするとヤダヤダって逃げるけど)
その手が、羽根を切るものになるのは少しかなしい・・けれどきっと色んな事情もあるのだろうし、それはわたしがちゅんを家で生きることを強いているように、そして白鳥も案外のんびり楽しんでいる部分もあったりするのかもしれないし。


白鳥のことははるえちゃんのブログを読んでふと。