いちねんまえのこと、鷲尾さんの写真と

03/19/2012

18日は思いがけず1年前のことを考える日になった。鷲尾さんの写真を見て、震災当日に中止になった本番のプロジェクトがまたこの時期にあって今度は自分が見に行く立場になったことによって。
震災それ自体というよりその後の時間を自分がどう過ごしどういうことを考えていたか。あの日々で決定的に変わったこと、見つけたことはあまりに根に近くて、頭でとどめておこうとするとどんどん遠ざかる類のことだった、でもきっと熾火のようにいつまでもからだの奥にあると信じて立ち返ることを試みる。
失ったことはもちろんわたしにすらあった、でもそこを通ったからだのまま今ここにいるんだということをときどき地面を踏み直し感じ直すように考える。

時化のような靄の立ち込めた波打ち際に杭が立っている。
足元を波に洗われても立ってる、たったひとりで所在なさげに、そこから動かないことを決められたみたいに、縫いとめられたまぼろしみたいに。
誰かが立てたのかもしれない、けれどなんてさみしくかなしいのだろう、その姿に自分の何かを映してそう感じるのでは確かにない、けれどほんとうにそうかな、かなしいと感じることでそのかなしさをどこかに放とうとしているのかもしれない、そうしてひとつひとつのたましいのことを見る。

自分に何ができるのか、みたいなことをずっと考えたっけ、だけどどうしたって自分がずっとやり続けてきたことを自分だってその中にいるんだと忘れずに行い続けるしかない。
きっとたくさん間違う。ひどく間違いませんように、と絶えず修正しながら。動けなくなることもきっとある、でもそのことはそんなに怖くないな。動きたかったら動くんだし、動かなくなったらそれまでのことだ。
って、また自分のことだな。


今日は部屋にバーができた。
それから長らく壊れていたカメラを直してもらった。