撚糸

03/21/2012

少しずつ見えなくなる色んな境目を見てた。
そこにいることは誰にも見られない、だから目に見えない見守る天使の話を思い出していた。
足をぶらぶらさせてそれが宙であることを確かめる。
たくさんの灯りを見下ろすのは久しぶりだった、こんなふうに何も言わずに。
怖くないの、そんな高いところで?と声をかけられた。
驚かせてごめんなさい、と言った。
もちろん怖い。
もちろん怖かった。
怖いのは高いからじゃない、いつでもここから落ちることができると想像するからだ。
落ちるつもりなんかないのに簡単にそれを選択することだってできる、望みとはまったく関係なくいたずらのように、けれどそんな好奇心はもう後戻りができない。

歩く速度はものを考えるのにちょうどいい。
ものを見るのにちょうどいい。
がたがた震えながら角をどっちに曲がろうかな、と身に任せる。任せているのにずっとその選択に対して緊張して震えている。
どこに行くのも自由だ、だからその選択に。それを選んだからって何がどうなるわけでもない、それなのにどきどきする。
ひとりでいることにどきどきする。

北の町で選んだブーツがくたくたに痛むまで薄く積もる雪を歩いた。
濡れていたり、雪をかぶったりしているそのつま先を今でも思い出せる。
いっぽいっぽの音が考えごとを運んでくる。
踏みぬいて雪の下の黒い地面に刻んで、きっと今でもそこにある。
ときどきまだそこにいるんじゃないだろうかという気がする。誰もいない植物園に、葡萄棚の見える公園のベンチに、おずおずとチョコレートを取り出してかじったりためらいながらカメラを袖から取り出す、遠くに来たな、なんて家から遠いんだろう、と思ったけど夏休みの蟻の観察みたいにからだは全然そこをうろうろしているのと同じだった。

次の年にその町で出会った女の子は左右の虹彩の色がぜんぜん違った。片方は緑で片方は灰茶色だった。
どんなに目を合わせようとしても自分の意識がさっくりとわかれるような気がした。
景色より遠くにピントを持ってくるみたいにすべてを包むと、やっと向かい合って話ができた。
そんなふうに。
生まれては響いてただうしろに過ぎてゆく考えごとは、ひとつづつを眺めようとしても多すぎるだけだった。
あんまり多くて、追いつけない。
逍遥、ってなんだか悠久のようなふところの深さと白い着物の襟のような明確さが同行するようなかんじがするのだけれど、そんな大きな手のひらはまだ持てない。
こぼしてばかりで、溺れてばかりだ。