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03/17/2012

なにも書いたり話したりしないほうがよっぽどいい、語るほど愚かなことがあらわになってしまうから。
それを知っているところに立って話せていないからだとも思う。
だめだなあとため息をつきながらもどこか甘ったれた気持ちでいて、ほんとうには青くなってない。
やだな、ぜんぜん欲しくないものばっかりいつまでもひきずって歩いてる。
子どもの時はそれはぺたぺたと周りから貼りつけられて剥がす術を知らなかったと言うこともできるけれど今身が重たくて分厚く腐ってゆくのはほかでもなくこの性根のせいだ。

映画を見たり本を読んだり美術館に行ったりよくそんな時間があるね、と言われたことがあってそれは私がやらなきゃいけないことを放り出してそちらに注いでいるからだよ、と答えていたけれどほんとうにまさしくそうだったみたいで、今はなんだかまったくそんなようなことにかまける時間がとれない。
生活するということはこんなに時間がかかるものなのだな。
といってもぜんぜんきちんとこう、あれこれ必要な用などこなせていないのだけれど、前みたいに生活を全部身からひっぱがして没頭する、ようなことをしていなくて、だから自分がなにによって今に結び付けられているのかが時々不明になる。
どこに着地すればいいんだろう、やっぱり月なの?

+

雨が降りだした。
ずいぶん暗い時間から鳥は起きて明るくなるのを待ってる。
今日が雨でがっかりしているだろうか?
それとも降ることなんか首を突っこんで眠っている羽根のかんじからとっくにわかって、今日は早起きはやめよう、って決めてたりするんだろうか。

鳥や猫や動物は死のことをどのくらい知っているんだろう。
たとえばあの、私が跨ぎ越したあの雛は?その親は?
いつか自分が死ぬということをさいごまで知らないだろうか、それともずっと知っているんだろうか。
こんなに時間がかかるのはひとだけなのか、
ことばは不器用だな。

+

今日はあみちゃんの展示に行って鷲尾さんの展示も見て、踊りに行くぜにも行かなきゃ。
踊りに行くぜなのにわたしはおどらないのだ、踊りたいよ、だけど誰かにきっとあえるな。
なつかしい、いろんな体験を一緒にした場所だから。