Torso

04/21/2012

所有しない、ということばに尽きるのかもしれない。
いま目の前にあることも、まさに現在の自分のことも捉えておかないのかおけないのか、膨らんだ全体で受け取って拡散してぼかし、また余白を残す。
これでしかない、と決めることをやめたのはその方が余地のひろがりが愉しめるからだ、たぶん。
たぶん。

世界は瞬間しゅんかんの氾濫だ。
なにもおきないことがない。
ほとんど、止まっているようだ、とも言える(かもしれない)。
停止か爆発かわからないそれは自分の範疇ではつかまえておけないくらいすばらしく大きくて、そして絶望的に解れない。
欲張りだから、眼だけはすまして耳だけはひらいておこうとおもう。
(そういえば眼をひらく、って言うし耳を澄ますっていうけれど、逆のほうがそれぞれに似つかわしい気がする)

所有しないことはドラえもんの足がほんの少しだけ地面から浮いていることに似ている、けれどやっぱり違うのは、わたしの幹は地球の中心に懸命に手を伸ばしてどこにも吹き飛ばされまいとしている、そのこと。