そのあとに、なにが朽ちてなにが生まれるのかを待つ

05/19/2012

どんなに似ているようにみえても今はその時とは違う、だからそのことだけを材料にこれからのことを決定してはいけない。
いちどその灯を無理矢理消してしまったらあたためるのに大変な時間を費やすことになる。
これからのことには自分が考えてもいないような可能性がある、ということを願いながら走ってゆくことはできるけれど、実際のところ時間やからだは有限で、おそらくその灯だって、この祈りほどには確かではないのだ。

そのことを反芻しながら目が醒めた。
あたたかくて外からこどもの声が聞こえてお休みの朝にはうってつけの光が射し込んでいた。
小骨のようにずっとそのことがこころに引っかかったまま、これからどう同じように過ごせばいいのかわからない、と思った。
それはいつだってわたしが真っすぐ飛び込もうとするのを邪魔するだろう。
呼吸よりも短い、けれど深いためらいが、歩みを固く止めるだろう。

選択肢は3つある。
そのなかのひとつを選びたかった。いちばん明るくてまっとうな道だ。
けれど熱を含んだその小骨が連れてきたのはとうに流し去ったはずだったことで、それは案の定化石のように、熱帯の森のように身に沈んで待っていたのだという自覚だった。
わたしはなにかそこに見えるのじゃないかというように、てのひらを見た。

たぶんそのあと、ひとりでわたしは過ごしたかったんだとおもう。
でもそうじゃなかったし、それでよかった。
大事なことをふたつ、もういちどみつけたから。
そのふたつはお互いあまりにも純粋で、遠く反対の方向にある。
そのふたつはこれからも両極から身を裂こうとするだろう、裂かれるわけにはいかないからしばらくはじっと耐えるように動けないだろう、
それでもしばらくは、膿むことだけは、止めてくれる。