連鎖

06/09/2012

おばあちゃんが大好きだった。
母方のおばあちゃんは小さい頃から時々わたしたちと一緒に住んでいた。住んでいない時も、時々うちに遊びに来た。
団地の入り口の小さい坂の下からおばあちゃんが見えると、わたしは駆けていっておばあちゃんを迎えた。
おばあちゃんはいつでも朗らかですぐ誰かと仲良くなってしまうひとだった。私にも、半分はその血が流れているのだと思う。けれどもう半分は、偏屈でひと嫌いでこころを許さない、もう片方のおばあちゃんに似ている。
おばあちゃんにおはじきやお手玉を教えてもらうのが嬉しかった。
厳しい母の目を盗んで一緒にお饅頭を食べるのが楽しかった。
けれどわたしはおばあちゃんに愛されていない気がしていた。それは、わたしのもう半分の気質のせい、そしてわたしがちっとも女の子らしくないがさつな性格だからだろうと思っていた。
弟のようにおとなしくもなくて、優しいところもない、と思われていると感じていた。

大人になってから、あんたはほんとうに優しい子だから、とおばあちゃんに言われたことがあって驚いた。
わたしはわたしの優しさのようなものがあるとしたらそれは気の弱さで、普段それを隠すために必死で大雑把に振舞って、それでおばあちゃんや母に困られてきたと思っていたから。
あんたはほんとに優しい子だったよ、とおばあちゃんに言われて、わたしはいっぺんに崩れたように泣きそうになった。


おばあちゃんは神社の娘として生まれた。
有名なお能台のある神社で、おばあちゃんはそこでお祭りになると能を舞った。
霊感のようなものもあるひとで、地震がくることも知っているし、夢に出てくる死者よって現実のあることが齎されたりすることが今でもある。

おばあちゃんは幼い頃、産みの親に去られている。
そのために、直系にもかかわらず私は神社の子にはならなかったのだけれど。
あとからきたお母さんに大切に育てられながらもおばあちゃんは、ずっと実の母親に捨てられたことから逃れられなかった。
ほんとうの母親が死ぬときもどうしても会いにいくことができなかった。
そのことを今どう感じているのか、わたしにはわからない。

そのためか分からないけれど私の母はおばあちゃんに可愛がられたことがないと感じている。だからあんたのことも、ちゃんと可愛がってあげられなかった、どうやって愛情をあげたらいいかわからなかった、とあるとき母はわたしに言った。
幸いわたしはものごとの、ほんとうに根にあるなにかについてを選り分けて受け取ることができるようで、どんなに他のことが邪魔しようともいちばん深いところは間違ったものに濁らされたりしないでいられた。
頭では母に嫌われていると考えていたし子供のわたしにとってそれは重大な欠落だったけれど、ほんとうはそうではないことを肌が知ってもいた。

大人になって母からきいたおばあちゃんは、私が知っているようなただおおらかで楽しいだけのひとではなかった。
我儘で、屈折があって、体裁をつくろうために身内を顧みないようなところもあった。
実際ひとに関心がないのは、こちらのおばあちゃんの方だったのかもしれない。
だからわたしのことを優しい子なんだよと言ったことも、どんなはかりで受け取ればいいのか、ほんとうのところはわからないのだった。

母の子供の頃の写真を見ると、いつも眉間に皺を寄せていて、ひとつも笑顔のものがない。幼い頃お父さんを亡くして貧乏でずっと病気だったせいもあるけれど、母はいつもおばあちゃんのそばにいて甘えたり休まることがなかったのだと言う。

自分の性質のことを考える時に、おばあちゃんから繋がる母と娘の関係というものにひとつの答えを見出すことができるのではないか、という気がする。
母との関係ではよくわからなくて、もうひとつさかのぼったところを見た時に色んなことを納得する。
これが血で、業というものか、と思う。

おばあちゃんの家系は遡るとこれは神話かな、というようなところまでたどりつく。
けれどたぶん、そのままで続くことは許されていなくてもしかしたら少しずつ絶えようとしている。
だから、おととしに岩手に行ったのだけれど。


おばあちゃんがそういうひとだと知ったから、撮りたくてときどきカメラを向ける。
でもわたしにはまだ撮りきれない。
まだ、とても、だめだ。
けれど撮らなくてはいけない。
わたしとおばあちゃんの時間が鮮やかなうちに。
わたしが、すべての要であるうちに。