踊る日の朝

08/19/2012

眠れない、ということはなくてただ暗い青の空を見た。
この半年、こんな時間まで話したり煙草を吸ったり、そして結局朝だね、青くて明るい、ということによくなった。
蝉が鳴き始めるのは鳥が鳴き始めるのより少し遅くてやはりカラスたちは早起きだ。
朝のこの光や夕方の境目の赤を眠ったり働いていたりして見られない生活なんかじゃない方法で生きていきたい、カーテンやすりガラスは光を遮るためじゃなくて美しく透かすためにある。

今日踊るのか、と少し不思議な気分。
毎日踊ってみていたことが場所が変わって見てくれるひとがいる。
今はとても静かな気持ちで奥底に灯る熾火のような熱を感じている、そうか、もしかしたらこの朝の青が冷やしてくれているのかもしれない。

うまくいくんだろうか?
今回はひとりじゃない。
だけど見ているひとたちと一対一じゃない均衡のようなもののなかでどう泳ぐか、触れたり触れられたりするかにおいて、わたしはひとりだ。

しかし何故カラスの声はこんなにひとみたいなのだろう。
ちゅんは、まったくひとみたいな声じゃない。

鳥、は犬、というくくりで収まるみたいだけどほんとうは哺乳類、というくくりと同じであるということを時々忘れる。
飛ぶけど蝉とは違う仲間だし、声が似ててもひととも違う仲間。

眠たくなってきた。
眠ろうとすると時々閉じたまぶたにたくさんのひとの顔が現れては一部が溶け、別の人になる。
はっきりと映像として見えるそのひとたちは、まったく知らない、見たこともないひとたちだ。
100人も200人も現れては、わたしをじっとみつめる。睨んでいるひともいる。
眠りに引き寄せられながら足から宙に落ち込むほどに、ときどきそれが怖い。あまりにも鮮明で閉じたまぶたのまま目を動かして焦点を合わせる。
まつ毛まで見える、鼻の穴のかたちまで。
いったい、このひとたちは誰なんだろう。
しらないひとやしらない景色。
わたしの頭のつくりだすことをわたしは何もしらない。
わたしのからだが生み出すことも、わたしが知らないことだらけだといいのに。
握っておくつもりはなくて次々に捨ててゆく、放ったら違うものとして戻ってくる、

ひかりが少し強くなった。