会話

09/04/2012

さよと話をして自分の軸が随分と以前とは違うところに分散していることに気づく。気づく、というよりはそう見えているのだということで見せられる。
変わらないことをずっと保ってきた。
皮は絶えず剥がれ落ちる、そのことはウエルカムだし惜しみはしないけれど、うまく説明できない内側の一部のことについては、たぶん守るべきだという気がして。
それがなんなのかわからない。
わからないから、平たいお盆に揺れる球体の水を載せるようにいつも危うかったのかもしれない、けれどそんな不確かな状態でも持ち続けられることだけが確かさだった。
今もそれは消えていないと思う。
たぶんわたしがもっと明確に望めば、消えないでいてくれるのだろう。
無理をしてしがみつかなくてもどこにもいかないものだからきっと守ろうとしたのだ、だから。

自由に泳がせてくれる会話、きりっとどこかに引き留めてくれる会話、ぐらぐらと芯を揺さぶり立つ位置さえ危うくさせられるような会話。
時々それぞれに即して変化し、そのうちある場所に立ちかえる。


やさしいひとと話をした。
何を話そうか、時間をことばで少しでも埋めるべきなのか考えているのがわかる。
こういう、話さなくても大丈夫だ、という思いや感覚は伝わる時と伝わらない時があって、そして逆に自分がぐるぐると会話を探して焦ってしまう立場の時もあって、いったい何を嗅ぎ取って相手との位置を決めるのだろうと思う。