小雨の帰り道に

09/01/2012

何かひとつのことに集中すると他のことに手がつかない、ということに随分長いこと気がついていなくて、気がついた後も騙しだましやってきたのだけれどもうそろそろそれを認めていこう、というのが9月の目標です。そして集中するなら集中しよう、しんどくなったら別の集中したいことに集中すればいい。集中してみたいことは人生いちどでは足りないくらいあるのだし、ネタは尽きない。ネタが尽きないということばかりが希望のような気もする。
こういう風に自分のことがようやくわかってきた気になって、でもまた自分にだけ目隠しされているような気持ちにまたなる、その繰り返しでばた足は続くのだろうから。

この頃気づいたことのひとつで大きかったのは自分が今という瞬間しゅんかんにいつも負け続けているということで、とても何かしらのかたちにできるスピードを持ち合わせていない、本能でそれを嗅ぎ取っているからだらんと弛緩してお手上げ、みたいにしてしまう。積極的に掴みあげたり選択したりするより前に否応なくくるものを全部とにかく流して、保存できることでもないのにいつか、いつか、と保留にしてきたことがからだに詰まっている。
その都度ひっかき傷くらい浅くてもいいからつっかえてみよう、と、結局どうでもいいことに立ち止まってぽかんとまた空のまま受け取ることになっても、リハビリみたいでいいです。

帰り道にがさがさ、と隣のおうちの門あたりで音がしたのでみいちゃん、と猫の名前を呼んでみたらはい?とそこのおばあさんが返事をしたので一瞬わけがわからなくなった。おばあさんもわけがわからなくなっただろうし、もしみいちゃんが近くにいたらいつも自分を呼んでいるおばあさんがみいちゃん、に返事をしたことでわけがわからなくなったんじゃないかと心配になった。
心配にはなったけれどこれを機に、みいちゃんがいったい何を自分とおばあさんとの間に見出すのだろう。ということが少したのしくもある。

畑を歩いても風鈴の音が聞こえない。
風鈴→鈴虫とシフトしてゆく音が混ざり合ってその瞬間にぱっと土の匂いをかぐ、境目の瞬間は秋になって失われてしまった。
だから今日が今年の、秋のはじまりです。
いつもはぐんと高くなる空でそのことを知るのだけれど。
でもまだ名残惜しいからのりちゃんにもらった風鈴はうちの軒から外さずにいよう。