equation of time

09/26/2012

友だちは、少し離れたところからそっと見つめるものだと思っていた。
花を見つめるみたいに。
空を見上げるみたいに。
石を眺めるみたいに。
ただ黙って。
風に吹かれながら、どんどん飛び込んでくる景色を映しながら、ふとそんなことが頭に浮かんだ。
自分には何かを及ぼすということができないという諦観や、直接触れることへのおそれ、大切にしたいものと自分との距離のことを考えると確かにそれはその通りだったし、でもやっぱりそれは違うなともすぐに思う。
やっぱり、ちがう。
だけど入れ替わる景色を見ているとどこかそれはほんとうで、わたしはそれに満足と寂しさを同時に覚えて、ひとりちいさく立っているのだ。

はじめバイクに乗ることが怖かった。
景色だけ見ているとほんの少し自分とその速度を切り離すことができる。
でも線みたいに飛んでいく地面やまぶたが持っていかれそうになりながら、実はとんでもない速さでわたしは進んでいるんだ、とはっとする。
有事の際には後ろに飛んで関節は守って・・みたいなことをぐるぐる考えていて同時にたくさんの光に溺れていて。
通常ではない速さでどこかにもっていかれていることをからだはどう感じているんだろう?怖いのは当然だけれど、新しい感覚にいっぱいに目をひらいてどきどきしてもいる。
それは遠くからそっと見つめる感覚とはずいぶんと違うかかわりかただった。

どんなにほかのこと眩しく見えてもわたしにはわたしが触れられる方法でひとつひとつ噛んでみるしかない。
それはずいぶん昔から自分に言い聞かせながら、なかなか身に降りてこないことがらだった。
次々と飛び込んでくる景色をなにかに置き換えられないからって、実感として、または記憶として残しておけないからって、わたしは実のところなにも感じていないのではないか、受け取ることができないのではないかとずっと恐れていた。
こわいのはことばにできないことや伝えられないことではほんとうは、ない。
でも昨日や今日はただすべてがうつくしく見えて、瞬間に溢れさせられながらも次を求めてわくわくしていることを見つけたから、大丈夫だとおもった。
わたしはきっと何か対象を写しているんじゃなくてその瞬間の自分の状態をつかまえたいのかもしれない。
世界と自分の輪郭の触れ合うところ。
目の前にいてそのかかわりかたを映してくれているものを撮っているのかもしれない。
そう思ったら怖くなくなった。
スピードも、自分が置いてしまう距離のことも、すべて刹那に塗り替えられてしまうことも。
いっしゅんだけ。

きっとこのくりかえしだ。
おそれも、みつけることも、ぜんぶ。