Cracking

11/05/2012

なにからも自由だと思っていたのにがんじがらめじゃないか、と癇癪をおこしたくなるけどそれすらも今じぶんがどこにいてどうしてゆきたいかのものさしになるのだから脇に携えておく。

やっとの休日に洗濯をしようとしたのに空が真っ白。
出かけられない理由もできたのでほくほくとだらけることに決めた。
今日ばかりは眠っちゃったりして夢だけのなかで時間を過ごさないようにと言い聞かせながら。

がんじがらめにされている自覚から引き出せることは、昨日話した、旅先でどういうわけか友だちや知り合いに出会ってしまってそれはちっとも不思議なことではないと思える、みたいな話と似ていたりする。

からだを使うこと、意識と動きの繋がりのことばかりを考えていると、こころの働きのようなものや感情のようなものとからだの動作の間には太くてあっけらかんとしたパイプのようなものが通じていることがなんとなくわかってくる。
そんなに複雑な経路ではない、ましてや想像や幻でもない。
複雑であると認識されているもののいくつかはただ感じる、というような行為においてくるりと簡単なものに化ける気がする。
説明できないけど、だって、そうなんだもの、というふうに。
(ある特定のことを指しているから、ずいぶん乱暴なもの言いだけれど)

長年雪山に住んでいるひとは明日雪崩が起きるな、と判るんだって。
誰かのからだを見て骨の並びや重心のことをなんとなく描けるように、雪の重さやかたまりのことや重心のことが手触りとして浮かぶのかもしれない。
ただ知っている、というようなことがらを身体に向けて開こうとする道筋を見ながら、たくさんの不思議はほんとうはそんなに不思議ではないのかもしれないと発見することは、なんてこころを蘇らせてくれるのだろう。
なにものかにこころを寄せて、ものごとの断片を知ることは、すべてのその部分のことを察する手がかりになる。
手段はなんでもいい、というのはそういうことなのだろう。

自分が見ている世界がほかのひとと相当違うのではないかと、いっぽうでは密かに楽しみ、いっぽうでは恐れてきた。
おそれはいつも自分のためだ。
じぶんから始まって自分に戻ってきて、そこで閉じる。
わたしは私以外のひととのパイプの使い道をわかっていなかったんだと思う。
そのパイプをただまっすぐ通って話しに行けばいいのに、パイプをこつこつ叩いて音を聞いてみたり直径を測ったりばっかりしていたんだと思う。

涙が出るようなことばがあったり、忘れられない笑い顔があったり、懐かしい季節の終わりの虫の声、あの窓とこの窓の光の色が違うだけで足が止まったり、捨ててしまった約束やいつまでも逢いたいひと、遠くにいることり、時々ひっそりと強く祈る友人のこと、変な着信音を直さなきゃなとか遠出の計画、枯れた花の影や夢でしか知らない香り、こころの中だけで紐解くものがたり、足元の砂が動くくすぐったさや。

どんなにかけても足りないことを追いかけて泣きたい気持ちになる、だからぜんぜんあきらめられる気がしない。
今とか、明日とかを。


好きな曲。

It's a one time thing
It just happens
A lot
Walk with me
And we will see
What we have got

My footsteps are ticking
Like water dripping from a tree
Walking a harline
And stepping very carefully

My heart is broken
It is worn out at the knees
Hearing muffled
Seeing blind
Soon it will hit the Deep Freeze

And something is cracking
I don't know where
Ice on the sidewalk
Brittle braches
In the air

The sun
Is blinding
Dizzy golden, dancing green
Through the park in the afternoon
Wondering where the hell
I have been