w.m.eyes

12/25/2012

写真を撮っていない、と思って出かけると今日は光がなかった。そんな時に何を撮りたいのか、と立ち止まる。
シラカバに触れて見上げると応えるように風が枝先を揺らす。
うんと高いところから落ちてくる雪を見る。
寝転がってみたいな。
桜桃の味みたいに、スタンド・バイ・ミーみたいに、目のなかにいつまでも雪が落ちてきたらいい。
考えたらどちらも死のイメージだ。
目のなかに雪が落ちてくればいい、と思うのに私は眼鏡をはずせない。眼鏡を外したら雪も枝先も見えなくなてしまうから。
矛盾している。
見開いた目なのに見ないのは死が連れ去っているからで、ではどうして身体だけ打たれているということがあるんだろう?
全部預けてしまう諦めに憧れるのはいつかそんな風に晒されて朽ちてゆくことを憶えているからだろうか?

目はただのレンズにすぎないのだと教えてもらった。
像を取り入れるだけの穴で、実際に見ているのはあたまの真ん中だから、ものを見るのにも見せようとするのにも目に力をいれなくていい。

死んで横たわって雨水がどんどん降って溢れて流れて、雲や鳥や葉が通りすぎてもそれに向かってただ開かれている。
虫や鳥についばまれても顔が土へ返されても、最後の景色は空のまるごとだ。
いちばん、土に近いところからの。

コツコツいうから振り返ったらちいさな鳥が木をつついていた。
からだいっぱいで木を穿って、なんて強い首と足の指だろうと思う。
ここにはヒヨドリがいない。
夏にもしいたとしても、うんと遠くにいってしまっている。