最期の日に植えられた木、それから木瓜を買った日

01/29/2013

海のそばに立ちたいな、と思い立つ。
次の日が休みだったからいちばん近い海にいくことにした。
訊いたら最寄り駅から単線が海のそばまで出ているらしい、ちいさな電車で雪の山を分けて海に降りてゆくのはきっと素敵だろう。なにかちいさな秘密みたいに出かけよう、とちいさく計画する。
けれどちっとも秘密にはしておけなくて明日糸魚川から海に行くんだ、と話したら明日糸魚川に寿司を食べに行くよ、という話につい乗っかって、車での旅になった。

些細な破れ目に指をかけて大きく裂いてしまう。
雪の道で立ち往生する。
空が青くて、なんて釣り合いがとれないの、と思う。
投げ出すのはもっと厚くて荒れた雲のなかがいい。
尖った波にざぶざぶ洗われていつのまにか随分と遠くにきてしまった寄る辺のなさに、自分から沖まできたのにな。
焔のようだから冷やしてしまいたくてここまできたのに。
けれどほんとうは全然そんなことしたくないのだった、反対のことを叫んでいるのだからやはり、こんな風におひさまがあってよかったのだ。

暗いトンネルと跳ねるような雪の白さを何回も繰り返して山から少しずつ降りてゆく。
日本海は緑だった。
ひすいの名産地だからかな。
翡翠は、藍を染めるときの最初の一瞬の色だ。
うんと向こうには黒い雲が低く立ち込めて海を切っていた。
ときどき差し込んだ陽が明るいみどりの道をつくって、でも長くは続かない。
岩場を降りて波に近づいたらヴィスビーの海岸線を思い出した。一本の木に出会って長いこと雨を避けてくれた木。熱の高いてのひらをずっとつけていた濡れてもまだごつごつした幹は、まだ年の若い木だったな。
からだがそこと一緒になるまでじっとしていたかったけれど風があまりに冷たくて、それからわたしは本州の北の端で見た景色をまたここで、今度は別の気持ちで迎えられたことに満たされていたから、もう良い、と思った。
波をいくつかだけ見てから引き返す。

不意に前からひよどりが風に飛ばされるように飛んできて鋭く鳴いた。
ここには大好きなものがふたついる、と思う。
それはびっくりするくらいに真正面から飛び込んできて、まるごとすんなりとこころにおさまった。
そう自由に思うことをなぜいつもためらって胸につかえさせてしまうんだろう。手で捏ねてかたちを変えてしまおうとするんだろう。
うつくしいね、とか星だよ、というのと同じくらい簡単でいちばんまっすぐな場所なのに。

久しぶりにお刺身をたらふく食べて帰ってきた。
鯛のタイ、の話をお寿司屋さんのおじさんとした。
鯛のタイをてのひらにのせてみたい。
鯛のタイのことを考えるといつもなぜか、海馬のことを思い出す。