甘酒や炎のこと、うしなったかおりのこと

01/09/2013

それをみて、たくさんのものを落としてきたし奪ってきた、とたまらない気持ちになった。
なぜ急によみがえったのかわからない、なんだろうこの荒々しくて野放図なかおりは、
とたじろいだ。
私の中の個人的な何かに作用したのか、そこにあるイメージの時間的距離が生んだものなのか、それとも単純に今があの時期に近くて、ふと同じ香りがしたからなのか。
わたしの忘れていたすべてが襲って、息苦しいほどだった。

わたしはぬくぬくと丸くあたたまって一歩も険しい道を歩かず、毎日隣から削り取ることで呼吸をしてきたんじゃなかろうか。
じぶんは息をひそめたまま奪い取っているんじゃないだろうか。
夕闇みたいに。

新しい旅みたいだった。
たくさん不安で、いっぱい道があるように見えた。でもすべてはわたしとは無関係な道に違いない気がしていた。ずっと続くわけなんかない一瞬の煌めきのようなものだ、これは。言い聞かせないと旅を終わらせる寂しさに足が止まりそうになる。
それなのに知らないことに突き当たるのがこわくて、喜びだった。
まるでじぶんのことのようじゃないか、自分がどんどん手にとれるほどちっぽけだと、そのことを直視しなければならないことに傷ついたりもした。
触れても身のそばにはなかった。
ほんとうに目の前にあって、生きているわたしの道のりの途中にぶつかったことなのかわからなくなることがあった。
覗き込んでもまったく別のものとして息をしている、そのことがわたしはいつも不思議だった。
求めてばかりで小さくちいさく楔を打つ。この手垢を振り払って跳んでいってくれたら良い、見えないところで旅を終わらせてほしい、と何度も思いながら囚われている自分の言い訳を時間を遡ってまで探した。
わたしにだけ、なにもみえてない。
わたしだけがいつまでも甘ったれてるから。
そんなことを理由に結んでほしくなんかないのに、わたしはいつだって恐れながら欲しがって、遠くから執拗に手をのばす、光のなかに出てゆくのを諦めたのだとしたらそのくせにどうして求めようとするのだ、それはとてもずるいことだと思う。
あの、ベランダからぴかぴか光るお母さんと赤ちゃんのおくれ毛を眺めた時からわたしは変わっていない。あれは暗示のように栖みついて指先が相変わらず冷えているのを知る。

かなわないものを小さくまとめて握り込むなんていやだ。
引き換えに足を止めさせるなんていやだ。
どうしたらいい?
うんと速く駆けることを躊躇わせてるのはわたしのおそれだ。

溺れるほどどこかにあたまやからだを突っ込みたい。
そこからしか今は受け取れない。
のろいはとけない。考えればかんがえるほど。
白いすべてがきれいでも、どこまでもが空でも、じぶんのなかを這って食い破らなくてはきっとだめ。