貝の化石、ラウンジにて、馬券を選ぶ

01/03/2013

耳を両手で塞ぐとあたためられた血液の音がした。
湯気のなかでゆっくり手を離すとまるで砂漠のなかの貝みたいだった。
同じようにわたしも大昔の海を覚えてる。

大晦日にギターとピアノの演奏会があって飛び入りで踊った。
ホールの片付けをしていたら、よかったら踊らない?と誘って貰って踊ります、と言ってそのまま靴だけ脱いで会場に入る。何のイメージも持たずからだも特別な用意をせず、ホールの制服のまま、だけど知っている音に加わるのだからとすっかり安心していた。
この場所でわたしの踊りがどう受け入れてもらえるのか、そういう風にできるのかはよくわからなかったしそんなには考えないでもいいと思った。わたしは真摯にやりとりをするだけだ。
雪の中で踊りたいとずっと思っていて、だけどひとりで急にそんなことをしたら気が触れているかと思われそうだから遠慮していたのだけれど、会場の大きなガラス窓から雪の中に出てゆくことができて雪を散らしながら踊る。もう少ししつこく雪とかかわっていたらよかったのだけれど見ていてあんまり寒さを感じるのも良くないなあ、あたたかい大晦日だもの、だから短い時間しか遊ばなかった。
夏には毎日即興でギターと合わせていたから懐かしい感触だった。
ネタ切れを振り切るまでやりたくなってしまうのを抑えて、すっきりとまとめる。

人前でああして踊るの、恥ずかしかったり緊張したりしないの?と訊かれたけれど、緊張することはあっても恥ずかしくはないなあと思う。どう受け取られるのか分からないな、とは考えるけどだからといって自分にできることはもうその全てだけだから恥ずかしがったりしている場合ではないのだった。その瞬間をただそのものとして生きておどる、踊りをみせているのではなくてその時間や空間に立ち会ってもらっている、わたしもそれを体験して目撃している、なぞるように縒ってわたしはすべからくそのままなのだという気がする。
ひとに対しことばを発しようとすると自分がどんな人間であればいいか判らないのに踊るとどんどん裏返してしまうのでそんなことを見ず知らずのひとの時間をもらって交差してここにいる瞬間にはい、と渡してしまうなんて確かに考えたら恥ずかしくないかと訊かれるのももっともかもしれない。
終わったら静かに封印をして、話の下手なわたしが表に出てくる。ほんとうに無防備で親に頼り切った赤ん坊のように素直になってしまうのでゆるやかに蓋をしなければずるずると漏れて単体として留まれなくなってしまう、だからからだの中心はごうごうと燃えていてもわたしは人間に戻るのだ。
ときどき、まったく別の場所に彷徨い出そうとしている気がすることがある。
たづなを引いているのも引かれているのも自分で、けれどまったく分裂していない。同時にある。
考えたらそれは通常の精神となにと変わらない。
両端だけが存在するわけではなくてそれこそ、手中にも収まらないし隣や、いちばん遠い端とかたく結ばれほどけながら遊びまわっているのだ。


初夢は馬券を買うのだけれど色々考えた末に決めた番号が安パイすぎてつまらなかったので数字から感じる微弱な声から決めてしまえ、と2パターンを用意するものだった。