走査線

01/13/2013

弱さ(表現において)についての記述、そうだよなあと思いながらもでもきっと今掘り出したいものが強さの対極にしかないはずはない、と思いたい。
生きることはなまぬるい共感ではないから。

職場への道にけもの道が交差している。
足が細くて背の高いけものが毎日そこを通っている。
まさか鹿ではないだろうと思ったけれど、今日たどってみたらどうやら鹿みたいだった。
前にふたつの大きなひづめ、東から歩いてきて西の林に去っている。
前のひづめはぐっと深く。
一気に抜いて、次の足あとまではやわらかでまっすぐな線をひきずる。

前進し未来を生み出そうとすることが表現の強さにつながるというようなことがそこには書いてあった。
過去をつねに振り返り、身近な共感だけを得られればよいというような思考は感覚的にすぎず、それまでに終わると。
おおまかには賛成だけれどたぶんこのことを書いているひともおそらくそうであるように、この表面的な分類だけで片付けられるわけではないとも感じる。
けれど、私が陥りやすい甘さはそこだと認識しているので、やはりおおまかには賛成。

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夢や、どこにもない時間のようなこと。
溺れる前の最後の泡を見上げる。
音のない/或いは閉じた空間に永遠にこだまする音、ミノタウロスの迷宮みたいに。
原始のものとはるか遠く大きいもの/近くて微小ではるか先の時代のこと
生まれる前の並走、深海にひそむ

メモ。