軋み、囀り

03/04/2013

ひとりで歩くとどきどきする。
自分の好きに向かい、過ごせばよいという気安さを何が圧迫しているのだろう。
心細さがちいさなものごとに目を向けさせる。
けれどそんなことで追いつくのか、深度もスピードも足りない気がして。
3年前にもそんなことを書いてた。その時の日記

世界が別のものにみえた。
いつもより手をいっぱい動かしながら、今日だけは時間を持て余さなくてよかったとこころから思う。
立ち止まって、息がしにくいことに気づいて、水を飲む。
振り返ったとたんSがいて、てのひらをほどいたように安心した。
顔を見られてよかった、とすんでのところで口にしそうになるけれどもちろん言わない。
元気、といつもと同じように声をかけた。
後ろ姿をみながらこころがくしゃっと歪む。
何かに熱中するときに首をかしげる癖。
ほんの日常的なことすら、あたりまえじゃないなんて知ってたのにな。
雪とろうそくがおおきく滲んだからまた手を動かすことに集中する。
私はいつのまにかここで息をすることを自分の礎にしてしまったのだ、決して明け渡せない気がしていたのに。


歌うことってなんだろう。
うちのことりはずっとさえずっている。
鳥は歌うことが仕事だとか、歌うのが好きだとか、歌がことばだとかいろいろあてはめることはできるけれどほんとうはあの行為になにがあるのか私は知らない。
うちのことりが独り言をいうようにちゅんちゅん言っていると、なあに、と問い返してみるけれど一瞬黙って私を見たりなおさら声を高くしてみたりする。
小さな声で歌っていることりはなんだかごきげんのように見えるけれど、鳥がそんなふうに気楽な生き物であるとも思えない。
歌うことというのは鳥にとって、生きものにとってほんとうはどういったことなのだろうか。
もしかしたら全然違う次元でとらえることのできることなのかもしれない。
・・・と、雪が溶けて白馬にもやってきたちいさな小鳥を見上げながら漠然と。
漠然としすぎていて雪解け水に流されていってしまった。