帰路

04/01/2013

毎日少しずつお別れをする。
ついこの間の思い出話や新しいそのひとたちを今更ながらに知ったり、雪解けでぬかるんだ道をあるきながら、
小さく指で挿していくように触れる、仄かにどこかの時間から立ち上がったそれと繋がってそのひとを、その時をもう一度かたちづくる。

たくさん別れを経験すれば慣れてゆくなんてことはない、と思う。
記憶にはからだのどこかを切り与えるようなところがあって、だからってそれは減ってゆくのではなく影が増えるようなものだ、その、いちいち置いてきた自分の切片のようなものがその都度さわさわと揺れるから、細かな、何でもないような些細なことに心を奪われがちなわたしにとっては別れるたびに過去の、それから、この先に味わうであろう記憶に茫然としてしまう。
すぐには手にとれず衣を重ねるように霞を重ねるように浸透するから、もう身から切り剥がすことができない。
いちいちちいさなことに足を止めてしまう。
そしてその時に灯ったものを取りだして、味わう。
いつもそんなふうに現在と自分との関係を擦り合わせてきたのかもしれない。
だからこの先何を見ても過去の別れがやってくる、その予感も重ねられてゆく。
もちろんその逆も。


すっと首を伸ばしたけものの影が見えるんじゃないかといつも想像した青い雪の林。
食器を並べる音。
足のしたできちきちと音をたてる雪。
細かく舞って呼吸をふさぐ。
遠くから枝を吹き払いながら近づいてくる風。
たったひとりでご飯を食べる日はなかった。必ず誰かがいてそのためだけにキッチンに行って笑って帰ってきた。


少し前に出会った男の子に会いたくてナノグラフィカに寄ったけれどドラえもん映画を観にいっていていなかった。

淋しさとか名残りおしさとか過ごした時間はきっと毎日の中に沈んでいっていつまでも表面でわたしを刺しはしない。
そのことも少しさみしく思いながら。
またしばらく東京暮らし。